【奇跡講座】 気づきの記録 ~Humming~

「欠乏」の幻想から目覚めると、「愛」そのものが私たちでした。

ゆるしは単純明快(レッスン249)

過去を振り返り、

 

あれは良くなかったとか、失敗したとか、ひどいことしたとか、されたとか・・・。

 

それを思い出すと、

 

苦しくなったり恥ずかしかったり悔しかったりゆるせなかったりしたなぁ。

 

だけど、

 

どの記憶も、

 

自分の心が作り出したものだった。

 

分離の心のストーリーだった。

 

どれもこれも、ちゃんと見れば、可愛らしいものだった。

 

自分や人を裁くようなものではなかった。

 

世界は光で満ちていた。

 

・・・

ワークブック

レッスン249

 

赦しはすべての苦しみと損失を終わらせる。

 

・・・・・

 

赦しが描き出す世界では、苦しみは終わり、損失は不可能となり、怒りは意味をなさない。

攻撃は過ぎ去り、狂気には終わりがくる。

そのとき、どのような苦しみがありえるだろう。

どのような損失を被ることができるだろう。

世界は喜びと豊かさと慈愛に溢れ、いつまでも与え合う場となる。

世界は今やあまりにも天国に似ているので、

そこに反映されている光そのものへと速やかに変容する。

そうして神の子が始めた旅は、彼の故郷である光の中で終わる。

 

 

父よ、私たちの心をあなたに戻します。

私たちは自らの心を裏切り、苦渋の中にしばりつけ、暴力と死の想念で怯えさせました。

今、私たちは再び、あなたに創造されたままに、あなたの中で休らいます。

(1・2)

(レッスン248)

あちこちに飛び散らせていたものがひとつになっていく。

 

あの思いもこの思いも、

 

あの考えもこの考えも、

 

あの行動もこの行動も、

 

あれもこれも全部戻ってくる。

 

「静けさ」へと戻っていく。

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ワークブック

レッスン248

 

苦しんでいる主体(もの)は、私の一部ではない。

 

・・・・・

 

私は真理を放棄してきた。

今度は、虚偽を放棄することに、同じくらい忠実になろう。

苦しんでいる主体は、私の一部ではない。

悲嘆にくれているのは私自身ではない。

苦痛を感じているのは、私の心の中の幻想にすぎない。

死にゆくものは、実相においては一度も生きていたことはなく、

私自身についての真理を嘲るだけのものだった。

今、私は自己概念や、聖なる神の子についての欺瞞や虚言を、放棄する。

今、神が創造したままの神の子、

今もそのままである神の子を受け入れる用意ができている。

 

父よ、あなたへの往古の愛が戻り、その愛で、私は再びあなたの子も愛することができます。

父よ、私はあなたに創造されたままの私です。

今、あなたの愛が思い出され、私の愛も思い出されます。

そして今、それらがひとつのものだと、私は理解します。

(1・2)

肉体の有無を超えて(レッスン247)

肉体に隔てられているという思い込みから解放されると、

 

すべてが麗しく、ありがたい。

 

肉体の目を通すと、確かに目の前には、違いがあるけど、

 

その「違い」はただの自由な線でしかなく、

 

私たちは、その線を表しているスクリーン側。

 

スクリーン側なので、そこに自由な線が自由に描かれている。

 

ただただ「いとおかし」。

 

その自由さを讃える。

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ワークブック

レッスン247

 

赦しがなければ、私は見えないままである。

 

罪は攻撃の象徴である。

罪をどこかに見ている限り、私は苦しむ。

赦しだけが、私にキリストの心眼をもたらす手段だからである。

キリストの視覚が見せるものを単純な真理として受け入れよう。

そうすれば、私は完全に癒される。

兄弟よ、私の所にきて、あなたの姿を見せてほしい。

あなたの麗しさが、私自身のそれを映し出す。

あなたの無罪性は私の無罪性である。

あなたは癒されており、私はあなたとともに癒されている。

 

今日、私はすべての人をこのように見たいと願います。

私の兄弟はあなたの子どもたちです。

あなたの父性が彼らを創造し、

彼ら全員を、あなたの一部として、また私の真の自己の一部として、私に与えてくださいました。

今日、私は彼らを通してあなたを讃え、それにより今日という日に、私の自己を認識したいと願います。

(1・2)

 

健やかに(レッスン246)

鬱陶しくても、邪魔に感じても、うざくても、

全力で「私は違う!!!」と思っていても、

 

それがそこにあることを、そのまんまにしておいていい。

 

なぜなら、その大元はすべて「愛」で出来ているから。

 

それを取り除くよりも、

 

それを「どう」見ているか?だけ。

 

真の自覚側へと没我するだけ。

 

・・・

 

すべての大元が「愛」ならば、

 

何の問題もない。

 

そもそも問題も意味もない。

 

あるのは、あふれる「愛」だけ。

 

なので、

 

今日も、日々。

 

この日々のどこまでも健やかなことに笑む。

 

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ワークブック

レッスン246

 

父を愛することは、父の子を愛することである。

 

・・・・・

 

胸に憎しみを抱いたままで神への道を見出せるなどと、思うことがありませんように。

神の子を傷つけようとしながら彼の父や私の真の自己を知ることができるなどと、思うことがありませんように。

自分自身を認識できないまま、父を自覚できるとか、父から私への愛や私が父に返す愛を思い描けるなどと、信じることがありませんように。

(1:1~3)

 

父よ、あなたが私をみもとへと導くために選んでくださる道を、私は受け入れます。

このように意志することによって、私はそれに成功することでしょう。

なぜなら、それがあなたの意志だからです。

そして、私が認識したいのは、あなたの意志は私の意志でもあり、それだけが私の意志である、ということです。

ですから私は、あなたの子を愛することを選びます。

アーメン。

(2:1~5)

(レッスン245)

内側の静けさを誰かに伝えることや、

 

その静けさのままでいることで、

 

その静けさは深まり、さらなる共有が広がる。

 

皆と一緒に。

 

静けさと一緒であるということは、皆と一緒であるということ。

 

私は私と一緒であり、ということは、静けさと一緒であり、神と一緒であり、聖霊と一緒であり、キリストと一緒であり、世界のすべてと一緒。

 

ひとつです。

 

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ワークブック

レッスン245

 

父よ、あなたの平安が私とともにあります。私は安全です。

 

父よ、あなたの平安が私を包んでいます。

私の行くところには、あなたの平安がともにあります。

その光は、私が出会うすべての人に注がれます。

私はその光を、惨めで孤独で怯えた人々へと運びます。

苦痛にあえぎ、損失を嘆き、自分には望みも幸せもないと思っている人々に、あなたの平安を与えます。

父よ、彼らを私のところに送ってください。

私にあなたの平安を運ばせてください。

私は自分の自己を認識できるように、御意志のままにあなたの子を救いたいからです。

 

そうして私たちは心安らかに進んでいく。

全世界に向かって、自らが受け取ったメッセージを伝えていく。

そうすることで、私たちは神を代弁する声を聞くようになる。

その声は私たち自身が神の言葉を運ぶとき、私たちに語りかけ、私たちは神から与えられた言葉を共有するので、神の愛を認識するようになる。

(1・2)

(レッスン244)

台風が来ていて、怖い。

 

だけど、聖域はなんともない。

 

怖がっているのは分離を信じている部分。

 

起こるに任せ、

 

感じるに任せ、

 

静けさに留まろう。

 

偶然ではない、今日のレッスン。

 

 

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ワークブック

レッスン244

 

世界のどこにいても、私に危険はない。

 

あなたがともにいてくださるので、あなたの子はどこにいても安全です。

御名を呼ぶだけで、自分の安全とあなたの愛を思い出します。

その二つはひとつのものだからです。

どうしてあなたの子が恐れたり、疑ったりできるでしょう。

自らが苦しむことも、危険にさらされることも、不幸を味わうこともありえないと、どうして知らずにいられるでしょう。

あなたに愛され、自らも愛する者であるあなたの子は、あなたに属しており、あなたの父性に抱かれて安全なのですから。

 

そうして私たちは真理の中にいる。

どんな嵐も、私たちの家である聖域を襲うことはない。

神の中で私たちは安全である。

いったい何が、神ご自身を脅かしたり、永久に神の一部であるものを怖がらせたりできるだろう。

(1・2)

(レッスン243)

これは、ただただ意欲を持つかどうか。

 

違いを見て、裁かないでいることの方が自然でした。

 

違いなんてなかったのだから。

 

違いって、思考の遊びでしかなかったのです。

 

また、どんな出来事が起こったとしても、

 

それだって本当は何も起こってはいないのです。

 

そうやって、分裂がなくなることが求められていたのです。

 

何も分かれていないのですね。

 

あるのは、空(くう)でした。

 

空(くう)とひとつです。

 

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ワークブック

レッスン243

 

今日、私はどんな出来事も裁かない。

 

・・・・・

 

今日、私は自分に正直でいよう。

今の自分に及ぶはずもないことを、

すでに知っていると思わないようにする。

知覚の断片から、全体が理解できるなどと思わないようにする。

そうした断片だけが、

今の私に見えるすべてである。

そうであるということを、

今日、私は認識する。

それにより私は、もともと自分にはできない判断を下さずにすむ。

そうして、神に創造されたままに安らかでいられるように、自分自身と、自分が見るものとを解放する。

(1:1-6)