【奇跡講座】 気づきの記録 ~Humming~

「欠乏」の幻想から目覚めると、「愛」そのものが私たちでした。

(レッスン360)

自分が作った解釈の世界から離れると、平安の中だと気がつく。

 

それだけのことだった。

 

驚愕し、落乱し、そして笑ってしまう。

 

長い旅の終わり。

 

そしてこれからは「かくあれかし」と喜び、祝福しよう。

 

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ワークブック

レッスン360

 

神聖な神の子である私に、平安がありますように。

私とひとつである兄弟に、平安がありますように。

私たちの平安を通して、全世界が祝福されますように。

 

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父よ、私はあなたから平安を受け取り、それを与えたいです。

私はあなたの子です。

大いなる光線が静かに乱れを知らず、常しえに私のうちにとどまるので、私は永遠にあなたに創造されたままです。

私は無言の確信を抱き、その光線に至りたいと願います。

確かさはほかのどこにも見出せないからです。

私に平安がありますように。

全世界に平安がありますように。

私たちは聖性の中で創造され、聖性の中にとどまります。

あなたの子は、完璧な無罪性の中におられるあなたと同質のものです。

この想念を以って、私たちは喜んでいます。

「アーメン、かくあれかし」と。

(1:2.3)

 

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私たちは、父がご自身の神聖な子に約束した贈り物を手にすることなくこの一年を終わらせはしない。

今や私たちは赦されている。

私たちは神の怒りだと思っていたすべてから救われており、それらが夢だったということを見出した。

私たちは正気を回復しており、その正気の中で、怒りは狂気であり、攻撃は錯乱であり、復讐は愚かな夢想にすぎなかったと理解している。

私たちが神の怒りから救われた理由は、自分たちが間違っていたことを学んだからである。

それだけのことである。

自分の子が真理を理解できなかったからといって、父が怒り狂ったりするだろうか。

(最終課題ー 練習の前に 5:1-7)

(レッスン359)

本当にすべてを誤解してきました。

 

「そうである必要はないと知りなさい」(テキスト第4章 Ⅳ.2:2)

 

自我の気まぐれで不安定な感覚を土台にしてきました。

 

心がさまよっているのを、ただ積極的に退けるだけでした。

 

そうすれば、いつでもゆるぎなさに包まれていることに気づくのです。

 

こんなに簡単に気持ちが清々しくなっていいのもかと、自我はまた後ろめたさを持ち出して、軽さを取り去ろうとしますが、退いたまま静かにします。

 

そうして、愛の中で安らぎ喜びます。

 

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ワークブック

レッスン359

 

神からの答えは何らかの形をした平安である。

苦痛はすべて癒され、不幸は喜びに入れ替わる。

すべての牢獄の扉は開かれ、あらゆる罪が、一つの間違いにすぎなかったと理解される。

 

父よ、今日私はあなたの世界を赦し、被造物をあなたご自身のものとします。

私たちはすべてのものを誤解してきました。

けれども私たちは神聖な神の子を罪人に作りかえていません。

あなたが罪無きものとして創造なさったものは、永遠にそのままであり続けます。

それが私たちです。

ですから私たちは、自分たちが犯したのは間違いにすぎず、それが自分を真に変化させなかったと学んで、喜びます。

罪は不可能です。

そしてこの事実ゆえに、赦しは、私たちが見ている幻の世界よりもずっと堅固な土台の上に立っています。

贖われたいと望む私たちが、赦せるように助けてください。

心安からでありたいと望む私たちが、赦せるように助けてください。

(全文)

(レッスン358)

世の中の心配事が本当は「無」だったことを認めるのが難しい。

 

私と思っていたものも「無」だったよ。

 

私というものは「無」。

 

ガーーン、だけど、ほんのり嬉しい。

 

何かあると思っていただけ。

 

何もかも「無」だったよ。

 

そして、そのかわり、全て神に与えられていた。

 

「愛」そのものだった。

 

沈黙の先にある麗しい愛。

 

今はそれを思い出し表す機会としてすべてがある。

 

何が何なのか?

ここがどこなのか?

私は誰なのか?

 

答えは「愛」。

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ワークブック

レッスン358

 

神への呼びかけは聞かれないことも、応えられないままにされることもない。

そして私は確信している。

神の答えこそ、私が真に望む答えであることを。

 

聖霊よ、私の真の本性を覚えているあなただけが、私が真に望むものを覚えています。

あなたは神のために語るので、私のためにも語ります。

そしてあなたが私に与えるものは、神ご自身からもたらされます。

父よ、ですからあなたの声は私のものでもあります。

そして私が望むのは、あなたが与えてくださるものが、私のためにあなたが選ばれた形で、私のものになることだけです。

私が、自分の知らないすべてを思い出せますように。

思い出しながら、私の声が沈黙しますように。

私があなたの愛と配慮を忘れることなく、あなたがわが子に与えた約束を常に私の自覚のうちに保てますように。

私自身は無であっても、私の真の自己はすべてであるということを、私が忘れずにいられますように。

(全文)

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(レッスン357)

家族や子供、友達、共に真理を学ぶ兄弟を見るまなざしがどのようなものだったか?

 

心あたたまる静かなものであれば、彼らと私をちゃんと見ていることになる。

 

ザワザワと焦ったり怖かったり苦しいときは、間違った見方をしている。

 

そんな時は、静かになり、内側に戻る。

 

兄弟を本当に見るとき、それは、兄弟と私を助けたことになる。

 

愛そのものの中で目を覚ます。

 

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ワークブック

レッスン357

 

真理は、神に対する私たちの呼びかけの一つひとつに応える。

はじめは奇跡によって応え、その後、真理そものもとして私たちに戻ってくる。

 

真理の反映である赦しが、どのようにして奇跡を差し出せばよいか、どうすれば自分の暮らしている場だと思っている牢獄から抜け出せるかを、私に教えてくれます。

神聖なあなたの子は、まずはじめに私の兄弟の中にいることが示され、それから私の中にもいることが示されます。

あなたの声は私に、あなたの言葉を聞き、受け取った通りに与えるようにと、忍耐強く教えてくださいます。

そして今日、私があなたの子を見るとき、あなたが定めた通りにあなたへの道を見つけるようにと、あなたの声が私に教えているのが聞こえます。

「彼の無罪性を見て、あなたが癒されなさい」と。

(全文)

(レッスン356)

どんなものでも、限定的なもの、個別的なものは、「分離」から離れないための言い張り。

 

私は、「わかってほしい」と言う気持ちを強く持っていたけど、その言い張りこそが、「分離」を取り下げない「病」のようなもの。

 

「わかってほしい」という思いが「全体」を遠ざけてきた。

 

私の思いは、全体そのものだったと受け入れる。

 

わかるも何も、「わかってもらえない」ことは、なんの重要なことでもなかった。

 

重要視し、個人に居座り、愛とつながらないようにしていた。

 

全ては明らかだった。

 

何も隠されていなかった。

 

それを受け入れたら、「個人」という孤独な苦しみと入れ替わりに、満ち満ちた喜びに溢れた。

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ワークブック

レッスン356

 

病氣とは罪の別名である。

癒しとは神の別名である。

だから、奇跡は神への呼びかけである。

 

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父よ、わが子があなたに呼びかけるなら必ずそれに答えると、あなたは約束されました。

彼がどこにいようと、彼の問題が何であると思えようと、自分がどのような存在になったと彼が信じていようと、それは問題ではありません。

彼はあなたの子ですから、あなたは彼に答えてくださるでしょう。

奇跡はあなたの愛を反映しており、だからそれが彼に答えます。

あなたの名がすべての罪の概念にかわるものとなります。

そして、罪なき者が苦痛を被ることはありえません。

あなたの名はあなたの子に答えを与えます。

あなたの名を呼ぶということは、彼自身の名を呼ぶことにほかならないからです。

(全文)

(レッスン355)

平安をお預け状態にしていたのは、私。

 

許可だけだったのに、ゆるす理由に納得のいくものを寄せ集めるのに時間をかけていた。

 

ゆるしたくない。

ゆるされたくない。

ゆるされるはずがない。

 

自ら握りしめて離さない罪の数々。

 

平安でいること、幸せであることに、なんの条件も理由もいらない。

 

状態や状況と、平安でいること、幸せであることは左右されない。

 

それが腑に落ちたら、知覚、視覚は一変する。

 

この平安の只中、幸せの只中を、ただ甘受します!

 

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ワークブック

レッスン355

 

私が神の言葉を受け入れるとき、平安や喜びや、私が与える奇跡のすべてに、終わりはなくなる。

今日をその時としてもよいのではないだろうか。

 

父よ、あなたが約束してくださった喜びを、私が待ちつづけなければならない理由があるでしょうか。

流刑の身のわが子にあなたが与えてくださった約束の御言葉を、あなたは必ず守ってくださいます。

私の宝物が私を待っていることを、私は確信しています。

ただ自分の手を伸ばしさえすれば、それは見つかります。

今も、私の指はそれに触れています。

それは間近にあります。

私は永遠の平安に至るために、もう一瞬も待つ必要はありません。

私が選択するのはあなたであり、あなたと一緒に選択される私のアイデンティティーです。

あなたの子は彼自身となり、あなたを自分の父であり、創造主であり、自らの愛する存在であると、知るでしょう。

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(レッスン354)

神の子としての自覚というのは、「愛」に安らいでいるということと、それは、この世界の「すべて」がそうであるという気づきの中にいること。

 

そして、そのことを認めるのに、何の努力も必要なかったんだなあ、と認めること。

 

「個人」「我流」の頑張りを、ふんわりと手放す。

 

生きている目的がなんだったのかをもう一度立ち止まって見定める。

 

「目的」となるものがぐらぐらした不安定なものであれば、いつまでたっても安らかな気持ちにはなれない。

 

なので、不安定なときは目的がずれていると思い出す。

 

「目的」が確かなものであれば、ただただ安心するだけになる。

 

「確かなもの」に対しては、何もする必要がない。

 

ただそれを見れば、無条件で愛でるだけになる。

 

何もする必要のない「愛」そのものの私たちすべてに対して、「yes!」と祝福することを止めることなどできなくなる。

 

それがつながっている、ひとつらなり、キリストと共にある、ということ。

 

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レッスン354

 

キリストと私はともに立ち、平安のうちに、目的を確信している。

キリストが私の中にいるのと同じように、キリストの中には彼の創造主がいる。

 

キリストとの一体性が、私をあなたの子として確立します。

それは、時間の及ばぬところで、あなたの法則以外のすべての法則からまったく自由なあなたの子です。

私には、私の内なるキリスト以外の自己はありません。

私には、キリスト自身のものでない目的はありません。

キリストは彼の父と同じです。

ですから、私はキリストと一体であり、あなたとも一体であるはずです。

あなたに創造されたままのあなたの子以外の誰が、キリストだというのでしょう。

そして私は、私の内なるキリスト以外の何だというのでしょう。