【奇跡講座】 気づきメモ ~Humming~

「欠乏」の夢から目覚めると、「愛」そのものがわたしたちでした。

(レッスン365)

外に掴むものはなく、内側に全てが含まれている。

 

うるわしさ、甘やかさ、充足感、喜び、親密さ、叡智。

 

全部あった。

 

これを、認めてわかち合う。

 

これが機能。

 

空という生命そのもの。

 

そこにゆだねられたままを意志し続ける。

 

私をゆだね続ける。

 

心のままに

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ワークブック

レッスン365

 

聖霊よ、この聖なる瞬間をあなたに捧げます。

あなたが主導してください。

あなたの指示は私に平安をもたらすと確信しつつ、私はあなたの後についていきます。

 

(レッスン364)

愛の永遠のおおらかさに休らう。

 

愛で笑う。

 

染み入る静けさ。

 

畏怖と祝福。

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ワークブック

レッスン365

 

聖霊よ、この聖なる瞬間をあなたに捧げます。

あなたが主導してください。

あなたの指示は私に平安をもたらすと確信しつつ、私はあなたの後についていきます。

 

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もはやその必要がなくなったので、これ以上特定のレッスンは与えられない。

世界から退き、代わりに実相を探し求めようとするとき、これからは、神とあなたの真の自己を代弁する声のみを聞きなさい。

聖霊はあなたの努力に方向性を与えるだろう。

何をすべきか、どのようにして自分の心を導けばよいか、いつ聖霊の確実な導きと確かな言葉を求めて沈黙の内に聖霊のもとに行くべきかを、あなたの告げるだろう。

 

(エピローグ 3:1-5)

(レッスン363)

深い深い夢だった。

 

罪のなすりつけ合いの夢。

 

そして覚める気がなかった。

 

夢だと気づいてからも、夢を見ようとし続けた。

 

だけど夢は夢だった。

 

霞の中でむきになればなるほど、虚しさしか感じられないと身に染みた。

 

強く強くつぶっていた目をゆっくりあける。

 

あまりにもまぶしくて、見えないほどだ。

 

だけど、光と目があった瞬間、包まれた。

 

愛そのものに溶けた。

 

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ワークブック

レッスン363

 

聖霊よ、この聖なる瞬間をあなたに捧げます。

あなたが主導してください。

あなたの指示は私に平安をもたらすと確信しつつ、私はあなたの後についていきます。

 

これからの人生も聖霊にゆだねる。

私たちは二度と再び罪を信じることへと後戻りしたくはないからである。

罪を信じていたからこそ、世界は醜く不安な場所に見えていた。

攻撃的で破壊的な場所、すべてにおいて危険で、信頼の希望も苦痛を逃れる手立てもなく、あてにならない場所のごとく見えていた。

(最終課題ー練習の前に 1:4-5)

 

時間の夢の中では、その終わりはずっと先のことであるように思える。

しかし、真理においては、それはすでにここにあり、進路を示す慈悲深い導きとなって私たちを助けている。

真理が指し示す道を、私たちはともに進んでいこう。

そして道を探していながら見出していない多くの兄弟たちを先導する者となろう。

(最終課題ー練習の前に 2:3-6)

 

私たちは、父がご自身の神聖な子に約束した贈り物を手にすることなくこの一年を終わらせはしない。

今や私たちは赦されている。

私たちは神の怒りだと思っていたすべてから救われており、それらが夢だったということを見出した。

私たちは正気を回復しており、その正気の中で、怒りは狂気であり、攻撃は錯乱であり、復習は愚かな夢想にすぎなかったと理解している。

私たちが神の怒りから救われた理由は、自分たちが間違っていたことを学んだからである。

それだけのことである。

自分の子が真理を理解できなかったからといって、父親が怒り狂ったりするだろうか。

(最終課題ー練習の前に 5:1-7)

 

私たちは正直になって神のもとに行き、自分が理解していなかったと述べたうえで、神ご自身の与える教師の声を通して神のレッスンを学べるように、助けてほしいと願い出る。

神はわが子を痛めつけるだろうか。

それともわが子に駆け寄り、「これは私の子であり、私のものはすべて彼のものである」と言うだろうか。

神がこのように答えると確信していなさい。

これは、あなたに対する神のご自身の言葉だからである。

そして、誰もそれ以上のものを得ることはできない。

この言葉の中に、今もこれからも、時間を超えて永遠に存在する一切が含まれているからである。

(最終課題ー練習の前に 6:1-5)

(レッスン362)

気づきは共有の財産。

 

これは隠すものではない。

 

そもそも隠されてはいない。

 

隠されていないものを隠さないことが自然なこと。

 

自然に逆らわない、と決める。

 

 

全体性という愛そのものを、単純に「はい」と認める。

 

それが全体としての機能なんだ。

 

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ワークブック

レッスン362

 

聖霊よ、この聖なる瞬間をあなたに捧げます。

あなたが主導してください。

あなたの指示は私に平安をもたらすと確信しつつ、私はあなたの後についていきます。

(レッスン361)

ゆだねること。

 

自分を兄弟を「愛」だと認めること。

 

このあまりにも自然で当たり前で優しくて美しい方法を、もうやめる気はない。

 

それ以外の生き方はできない。

 

する必要と理由がない。

 

ありがとうございます。

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ワークブック

レッスン361

 

聖霊よ、この聖なる瞬間をあなたに捧げます。

あなたが主導してください。

あなたの指示は私に平安をもたらすと確信しつつ、私はあなたの後についていきます。

 

そしてもし私が、自分を助けてくれる言葉を必要とするなら、聖霊がそれを与えてくれるだろう。

もし何らかの考えが必要なら、それも聖霊が与えてくれるだろう。

静けさや、穏やかで開かれた心が必要なら、私はそれを聖霊からの贈り物として受け取るだろう。

聖霊が主導してくれるのは、私がそれを要請したからである。

私の父である神と神聖な神の子を代弁する聖霊は、私の求めを聞き、答えてくれるだろう。

(全文)

 

私たちは二度と再び罪を信じることへと後戻りしたくはないからである。

罪を信じていたからこそ、世界は酷く不安な場所に見えていた。

攻撃的で破壊的な場所、すべてにおいて危険で、信頼の希望も苦痛を逃れる手立てもなく、あてにならない場所のごとく見えていた。

(最終課題ー練習の前に 1:5)

 

私たちが探し求めているのは、神が定めた夢の終わりであって、私たち自身が決める終わりではない。

私たちは自分が赦すすべてを、必ず神ご自身の一部として認識する。

そうして神についての記憶が、完全な形で、完全に戻ってくる。

(最終課題ー練習の前に 3:4)

 

神を思い出すことが、地上における私たちの機能である。

実相においては、私たちは神ご自身を完成するものとなるべく定められている。

だから、私たちのゴールは共有されているということを忘れずにいよう。

それを覚えていることによって、神が思い出され、神の平安のある天国および神ご自身へと至る道が示されるからである。

これを私たちに差し出すことのできる兄弟を、私たちは赦そうではないか。

彼が道であり、真理であり、生命であり、私たちに進路を示してくれる。

彼の中に救済が宿り、それは彼に与えられる私たちの赦しを通して私たちに差し出される。

(最終課題ー 練習の前に 4:1-5)

 

誰に会うときも、それが神聖な出会いであることを思い出しなさい。

あなたは、彼を見る通りに自分自身を見る。

彼を扱う通りに自分自身を扱う。

彼について考える通りに自分自身について考える。

このことを決して忘れてはならない。

なぜなら、彼の中で、あなたは自分を見失うことにも、自分を見出すことにもなるからである。

二人の神の子が出会うときはいつでも、両者に救済のための新たな機会が与えられる。

救済を相手に与え、自分も受け取ることをせずに、誰のもとからも立ち去ってはならない。

なぜなら、私はあなたを記念するために、常にあなたと共にそこに居るからである。

(テキスト編 第8章 Ⅲ-4:1~8)

 

(レッスン360)

自分が作った解釈の世界から離れると、平安の中だと気がつく。

 

それだけのことだった。

 

驚愕し、落乱し、そして笑ってしまう。

 

長い旅の終わり。

 

そしてこれからは「かくあれかし」と喜び、祝福しよう。

 

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レッスン360

 

神聖な神の子である私に、平安がありますように。

私とひとつである兄弟に、平安がありますように。

私たちの平安を通して、全世界が祝福されますように。

 

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父よ、私はあなたから平安を受け取り、それを与えたいです。

私はあなたの子です。

大いなる光線が静かに乱れを知らず、常しえに私のうちにとどまるので、私は永遠にあなたに創造されたままです。

私は無言の確信を抱き、その光線に至りたいと願います。

確かさはほかのどこにも見出せないからです。

私に平安がありますように。

全世界に平安がありますように。

私たちは聖性の中で創造され、聖性の中にとどまります。

あなたの子は、完璧な無罪性の中におられるあなたと同質のものです。

この想念を以って、私たちは喜んでいます。

「アーメン、かくあれかし」と。

(1:2.3)

 

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私たちは、父がご自身の神聖な子に約束した贈り物を手にすることなくこの一年を終わらせはしない。

今や私たちは赦されている。

私たちは神の怒りだと思っていたすべてから救われており、それらが夢だったということを見出した。

私たちは正気を回復しており、その正気の中で、怒りは狂気であり、攻撃は錯乱であり、復讐は愚かな夢想にすぎなかったと理解している。

私たちが神の怒りから救われた理由は、自分たちが間違っていたことを学んだからである。

それだけのことである。

自分の子が真理を理解できなかったからといって、父が怒り狂ったりするだろうか。

(最終課題ー 練習の前に 5:1-7)

(レッスン359)

本当にすべてを誤解してきました。

 

「そうである必要はないと知りなさい」(テキスト第4章 Ⅳ.2:2)

 

自我の気まぐれで不安定な感覚を土台にしてきました。

 

心がさまよっているのを、ただ積極的に退けるだけでした。

 

そうすれば、いつでもゆるぎなさに包まれていることに気づくのです。

 

こんなに簡単に気持ちが清々しくなっていいのもかと、自我はまた後ろめたさを持ち出して、軽さを取り去ろうとしますが、退いたまま静かにします。

 

そうして、愛の中で安らぎ喜びます。

 

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レッスン359

 

神からの答えは何らかの形をした平安である。

苦痛はすべて癒され、不幸は喜びに入れ替わる。

すべての牢獄の扉は開かれ、あらゆる罪が、一つの間違いにすぎなかったと理解される。

 

父よ、今日私はあなたの世界を赦し、被造物をあなたご自身のものとします。

私たちはすべてのものを誤解してきました。

けれども私たちは神聖な神の子を罪人に作りかえていません。

あなたが罪無きものとして創造なさったものは、永遠にそのままであり続けます。

それが私たちです。

ですから私たちは、自分たちが犯したのは間違いにすぎず、それが自分を真に変化させなかったと学んで、喜びます。

罪は不可能です。

そしてこの事実ゆえに、赦しは、私たちが見ている幻の世界よりもずっと堅固な土台の上に立っています。

贖われたいと望む私たちが、赦せるように助けてください。

心安からでありたいと望む私たちが、赦せるように助けてください。

(全文)