【奇跡講座】 気づきメモ ~Humming~

「欠乏」の夢から目覚めると、「愛」そのものがわたしたちでした。

2023-02-01から1ヶ月間の記事一覧

マニュアル編 十六.神の教師は、どのように一日を過ごすべきか

この世界という時間軸の中に喜びや満足を期待していたときは、いつも苦しかったなぁと。 今まで、無いところに何かを見つけようとする罰ゲームを続けていたけど、もうそれをやめることをゆるした。 時間の中、思考の中、そして身体の中に未練がなくなってい…

マニュアル編 十五.最後には一人ひとりが審判されるのか

神の審判って、恐ろしい裁きなどではない。 子供のころに見せられた「地獄絵図」は、身体ありきの描写でしかなかった。 だけど、自分が身体だと思い込んでいたし、身体と心はくっついてると思い込んでいた。 身体と心がくっついてる、この不便さ、煩わしさ、…

マニュアル編 十四.世界はどのように終わるのか

目の前のひとりの人に、ただのひとつも「違い」を見なくなる。 それは、「思考」が捨て去られた、ということ。 その「思考」は、止める必要はない。 それはただ見過ごされていく。 この解放以外の解放はない。 そもそも、始まってなどいなかった。 思考の中…

マニュアル編 十三. 犠牲の真の意味は何か

この世界の”見方”を勘違いしてしまっている。 このことを、「犠牲」というんだなぁ。 なにかを得られず、そのことで「がっかりする」とき、わたしは間違っているのだ。 自分のことを、”身体で個人”なんだと思い込んだままでこの世界を見ているかぎり、「がっ…

マニュアル編 十二.世界を救うためには、何人の神の教師が必要か

身体の目で見ている世界は「夢」。 その大元だけがリアル。 大元の確かさだけが実際にあるだけだ。 「夢」を「夢」だと認め、「夢」ということに意識的であればいい。 真実に触れると、なにも話せなくなる。 その必要がなかったんだと感じる。 私は私を譲っ…

マニュアル編 十一. どのようにすれば、この世界で平安が可能となるのか

あらゆるノイズも喧噪も、聖霊は「無音」で応える。 「無音」が真実そのもの。 「無音」の中で安らいでいる。 ・・ 「無音」は怖いものだと思っていたし、何もかもが終わってしまうと思っていたけど、逆だった。 逆にいけばいくほど、ゆるぎなさがあった。 …

マニュアル編 十. 判断は、どのようにして放棄されるのか

「判断」を喜んで手放したい。 だって、こんなに楽なんだもん。 これ以上、どんな状態を望むというのだろう。 今、だけが真新しく差し出されている。 その新鮮さに触れ続けること以外、望む理由はどこにもない。 「わからなさ」のまんま。 被造物の喜びを讃…

マニュアル編 九. 神の教師は生活環境を変える必要があるか

私が今ここにいる理由を、自分で判断するのをやめ、ゆだねていくほどに、より一層、至福を感じている。 コップもテーブルも、 庭も石ころも、 夫も隣人のご婦人も、 全部、私。 すべてがひとつらなりだった。 今、まだ肉体の目が映す間は、それをさまざまな…

マニュアル編 八.どうすれば難しさの序列を知覚することを避けられるか

何の問題もない、ということに、自我は動揺し、抵抗する。 何かしら反応しないと間が持たない。 でも、この「間」こそが空の入り口。 「間」に佇む。 ほっこりとし、しっとりとし、究極の甘美さにゆだねる。 ・・・ 難しさに序列があるという信念が、この世…

マニュアル編 七.癒しは繰り返し行われるべきか

「心配」し続けないと「愛」しているという証明にならない、という恐れがなかなか消えなかった。 なので、本来なら、「愛」にくつろぎ、ただ祝福の中にいればいいだけなのに、気がかりなことを捏造して、それに取り組もうとしてしまったりしようとする。 だ…

マニュアル編 六. 癒しは確実かどうか

ためらいなく、気づきを共有する。 それに任せるだけでいい。 どう受け取られたか気に病む必要は一切ない。 喜びを止める必要は全くない。 楽園にて。 ・・・ 六. 癒しは確実かどうか 癒しは常に確実である。 幻想が真理のもとへ運ばれるにまかせた上で、そ…

マニュアル編 五. 癒しはどのようにして達成されるのか Ⅲ. 神の教師の機能

神に創造されたままだという確信のままでいるだけ。 もうこれがゆらぐことはない。 これまで、目を覆うような出来事として反応してきた数々が、霞だったとわかる。 喜びと祝福以外、湧き起らない。 誰一人として、この事実から漏れることはない。 すべてが喜…

マニュアル編 五. 癒しはどのようにして達成されるのか Ⅱ. 知覚の変化

世界は何もしない。 私も世界に何もしない。 両方は同じものである。 おー---! 同じものだ。 本当に。 優しく微笑めば優しさにあふれる。 苦しめば苦しみがあふれる。 見たいように見ている。 世界が影響したり、世界に影響してると思い込んでいる・。 …

マニュアル編 五. 癒しはどのようにして達成されるのか Ⅰ.  病気の目的と知覚されているもの

苦しむことに価値を見ていた。 苦しまないことに罪悪を感じていた。 この感覚はなかなか抜けないものだった。 苦しまないことで仲間外れにされてしまうような感覚があった。 周りと同じように苦しまないと居場所がない。 でも、苦しめない。 周りとつながれ…

マニュアル編 四. 神の教師たちの特徴はどのようなものか Ⅹ. 開かれた心の状態

「開けっ放し」。 空気も水も、どこにでも、何の条件もなく入り込んでいく。 それと同じ。 当たり前すぎて見落としてきたけど、それ以上でもそれ以下でもない。 開かれ、くつろがれ、full、満ち満ちている。 毎瞬が、新しく。 開かれ続けている。 ・・ 「開…

マニュアル編 四. 神の教師たちの特徴はどのようなものか Ⅸ. 信義

一は、全部。 静かな確信。 すべてが喜び。 目のまえのすべてに神がある。 ありとあらゆるものごとは愛。 アメージング! ・・・ 神の教師の信義の度合いが、このカリキュラムにおける彼の進歩の目安である。 彼は今も、生活のいくつかの側面だけを選んで自…

マニュアル編 四. 神の教師たちの特徴はどのようなものか  Ⅷ. 忍耐

責め、裁かれてなんかいない。 その夢を握りしめていただけ。 握りしめている力の側にぎゅっと入り込んでいただけ。 その握りしめられている手ではなく、そのスペースを提供しているスペースそのものが私たち。 「忍耐」とは、ぎゅっとしている力側がほどけ…

マニュアル編 四. 神の教師たちの特徴はどのようなものか Ⅶ.  寛大さ

気づきは共有の財産。 だから、それは、惜しみなく与えられるもの。 気づきは延長される。 その管としていたいし、それだけが可能なもの。 これが寛大さだとマニュアルに述べられている。 決して失わないものに意識を戻す、気づきのために惜しみなく与える。…

マニュアル編 四. 神の教師たちの特徴はどのようなものか Ⅵ. 防衛しない態度

強いとか弱いとか、優秀とか愚かとか、何にも生じていない。 その「創造」そのもの。 自分を作ろうと必死だったのは、この世界に限定した価値を信じていて、その価値に自分を閉じ込めようとしてきたから。 愚かであること、みじめであることがとにかく嫌で、…

マニュアル編 四. 神の教師たちの特徴はどのようなものか Ⅴ.  喜び 

無条件でした。 喜びに条件はないです。 喜びを抑えることにエネルギーを使って疲弊していました。 なんてことでしょう。 自然に逆らうのはやめます。 喜びは感謝と祝福の証です。 ・・・ Ⅴ. 喜び 喜びは、柔和さから必然的にもたらされるものである。 柔和…

マニュアル編 四. 神の教師たちの特徴はどのようなものか Ⅳ. 柔和さ

何かに「恐れ」を感じたり、想像するときは、勘違いしているということで、そしてだからといって、自分でどうにかせずに、そのまま感覚を感じる。 そのうち、それは通り過ぎて、柔和さが表れる。 ・・・ 危害というのものは、神の教師たちとって不可能なもの…

マニュアル編 四. 神の教師たちの特徴はどのようなものか Ⅲ. 寛容さ

問題があると見る。 困ったことがあると見る。 価値の判断をしょうとする。 それにより「私」という分離の世界に突入する。 「私」とは、ただの一部。 その孤立の特性を信じ込み、その分断の視点から見ると、世界に脅威を感じ、防衛の必要性を感じ、深刻さが…