2023-05-01から1ヶ月間の記事一覧
茶道を習っていたときに、気づいて、そして身に付いたのは、”「同じ」に扱う”、ということでした。 所作や扱いにおいて、上げも下げもしない、優劣つけない、私情のない姿勢。 「道」の真髄。 そして、それとは相反して、人間関係での「上下」が立ちはだかり…
今、こちらでの”学習メモ”は止まっちゃってます・・・。 なんかもう、充分すぎて、なんの必要もわいてこない感じです。 ただ、お茶を飲む優しいひとときがあれば、もう完結しちゃう。 利休さんが、茶道をどんどん簡素化していった感覚がわかるような気がしま…
5月22日21時から、始めます。 風に押されて、バケツリレーの間のひとつとして。 わかち合いのひとつとして、ゆだねながら・・・。 「堀田真紀子さんの体験的ACIM」の会の中で、いろんなシェアの形のひとつとしてお声かけいただき、はじめることになりま…
ここで、コメントいただいている方に感謝のお返事します。 まず、いつも「星」をくださる、ゆうさん。(yuukiyuukixさん) 去年、コメントもいただいていたのに、なんと、昨日気づきました。 反応が遅くなってしまい、すみません。 それと、「はてなblog」の…
奇跡講座のテキスト、ワークブック、マニュアル、は慈愛そのもの。 「自我」に居すわるをやめて、「実相」の心眼をとりもどしてくれる。 この世界に気を取られ、泣き叫んでいたら、コースは歪曲されてしまう。 コースをこの世界に持ち込もうとしてしまう。 …
最初から癒されていたのだったと受け入れます。 また、自分の言葉は必要なかったことに、深く癒やされます。 何もかもが対等なので、共通言語は静寂。 その全てそのものの中。 わたしたちの何もかもが癒しそのもの。 すみやかに赦し、祈りの中でくつろぎ、明…
「全体性」を思い出すことのみ。 これだけが、癒し。 部分的、という意識から離れるには、部分的だと思い込んでいた意識をただ見て、それが消えていくにまかせる。 「ただ、助けを求める者と自分が一体であることを認識するだけである」(4:6) これだけ…
「死」が「罪」とセットになっている強い強い信。 「死」を罰ゲームの最終地点に置くことで、ずっと罰ゲームの夢を見続けている。 「死」を忌むものと見ることで、この世界の夢から逃れないようにしている。 この不毛で楽しくないゲームを下りよう。 「死」…