【奇跡講座】 気づきの記録 ~Humming~

「欠乏」の幻想から目覚めると、「愛」そのものが私たちでした。

氣づき

個人の目のままだから安らかさが見えなかった(W レッスン179)

個人単位や自分の家族単位という「特別性」で物事を考えることは「防衛」を繰り返しているだけになる。個人や身内単位という「特別性」を「守り続けている」ということは、延々と「恐れ」への対処をしていることになり、その「想念」の強さゆえに、その「想…

すべてが愛で出来ている(W レッスン172)

看過すること、無関心であること、という意味を誤解していたことに改めて氣がつきました。 マザーテレサの「愛の反対は無関心」という言葉を鵜呑みにしていましたし、さらには、調べてみるとこれはマザーテレサの言葉ではなかったみたいです!! (情報やイ…

(W レッスン158)

この世界に前のめりになって参加しなければならないと思い込んでいて、この世界で目に付く善悪や損得や優劣に翻弄されていたけど、 私たちは「心」だった。 私は神に創られ、祝福されている。 ということは、全世界のすべての人も同じ。 それ以外の部分を見…

自分を責めたいという誘惑(W レッスン147)

「愛」はふさわしくない、ということにしておこうとするという自我意識。 だから、不十分さを演出し、それを捏造し、ストーリー化させて、そのストーリーに入り込み、分離意識を味わっている。 人を責めることがなくなったら、今度は自分を責める。 罪悪のス…

妄想を直視する(W レッスン127)

考えたくない、思い出したくない、逃げたい「あの人」「あの思い出」。 それらを心の奥に追いやったはずだけど、何かの拍子で思い出すとまだ若干ざわついたり、忘れたはずの「イヤな感じ」を思い出すような出来事に出くわしたり。 抑圧すればするほど、「過…

「私」を越えた所にある「ひとつ」

「ひとつ」であるという正気を取り戻すレッスン。 現実だと思っている「外側」の世界との関わりを、すべてすべて「赦し」の対象として受け取り、受け入れ、流していく。 通り過ぎるのは「愛を求める泣き叫び」であり、通り過ぎた後は「愛」だけが残る。 私へ…

差し出されている愛と感謝(W レッスン123)

自我のフィルターを通さなければ、全部、「愛」。 攻撃も泣き叫びも、全部、「愛」。 全部が純粋な空間に溶けていく。 私たちすべてが「純粋な空間」それそのものなのだ。 そのことを喜ぼう。 喜ぶことを許可しょう。 称えよう。 称えることを許可しょう。 …

真理は、心の中のすべての誤りを訂正する(W レッスン119)

真理が訪れるとき、その翼の中に抱いてくるのは、完璧な恒常性という贈り物と、苦痛に直面してもひるまずそれを超えたところを確信をもってじっと見続ける愛である。 ここにこそ、癒しの贈り物がある。 真理は防衛を必要とせず、したがって、攻撃は不可能だ…

拒否してきた愛(W レッスン118)

今日の私たちの練習は少し違った形で始める。 今日はまずはじめに、神の平安の法のもとでは自らの当然の権利であるはずの平安と喜びを、あなたによって拒否された兄弟のことを考えてみよう。 それで、あなたは平安と喜びを自分自身に拒否したのである。 だか…

実在(W レッスン113)

条件からも意味からも解釈からも自由。 確かさだけが実在している。 ただそこに心を向ける。 どんなに空想や妄想にかられていても、そうではない確かさは最初からあるのだから。 だから、もう時間を追いかけ、そこに意味をもたせる必要はない。 この静けさが…

直視(W レッスン110) 

目を閉じて、静かにすれば、もうすでに何者だったのかを思い出す。 そこにいようとしないのは「自我」だけ。 静けさを怖がり、大声でわめき散らそうとする。 そんな衝動そのものをただ優しく促し、「愛に包まれるのが怖かったんだね」と抱きしめる。 そうし…

この解放感に変わるものはありません(W レッスン109)

生きのびるための方法や特別であるための方法、獲得するための方法。 これらを習得するために時間を使ってきたけど、心がいつもざわついていました。 もうなんのテクニックも忘れます。 そして聖性にゆだねます。 今やっと、愛の媒体として存在していいって…

妄想はただ消滅する(W レッスン107) 

悲観する必要はまったくありませんでした。 「怖い事」が起こるという思いは、自分の思考の仕業でしかありません。 私たちの本性を思い出すだけです。 自分も、周りの人も、誰一人として、この真実が当てはまらない人はいません。 そのことを真っ直ぐ認める…

”静けさ”が贈り物(W レッスン106) 

自我という思考は、ずっと私を混乱させ続けてきた。 欠乏という思考は、ずっと私を外につなぎ止め、内側に向かないようにしてきた。 「静けさ」とは。その思考から解放される、ということ。 その「静けさ」というそのものが「豊さ」という恩寵そのものなのだ…

”幸せは外にある”という頑なな心のほどき方(W レッスン104)

「幸せ」が自分の心の中にあって、それをただ眠らせていただけで、その目覚めにだけ意識を向けていくことだけでいいのだと氣づくまでは、 なにかしら、「外」をキョロキョロと探したりして、氣を散らせてしまう。 「奇跡講座」は、ただ素直に取り組むだけで…

愛には限界がなく、至るとことに存在する(W レッスン103) 

「真理」「真実」を求めているときは、全く苦しまないし失敗もしないとコースに述べられている。 なので、苦しく思える時、なにかしら辛い時は、求めていることや、求めているもの、見ているものが、間違っている、見当違いだということに、と氣づく。 「幸…

喜びをためらわない練習 (W レッスン102)

「奇跡」の瞬間、という真実の幸せにふれるとき、その瞬間を受け入れる心の準備が十分でないときは、その幸せ感を、すぐ打ち消すように心が働いてしまう。 「こんなに上手くいくはずがない」 「どうせすぐ戻る」 「こんな幸せな感覚になるなんておかしい」 …

喜びに理由は必要ない(W レッスン100)

訳もなく感じる感謝と喜び。 その感覚に躊躇い、その感覚の「意味」を探ろうとしちゃいがちだけど、する必要は全くない。 その湧き上がる感謝と喜びが、私たちの「本性」そのものなのだから。 そして、その感謝と喜びを、作り上げようとしない。 この感謝と…

闇からそっと離れ、光の中へ(W レッスン97)

私は霊であり、神聖な神の子である。 あらゆる制限から自由であり、安全で、癒されていて、全一である。 赦す自由と、世界を救う自由をもった神聖な神の子である。 (7:2) 私が神聖なのは、「特別」に選ばれたからではなく、私たちのすべての本性が、元…

私に与えることで、私に対して与えられるものである (W レッスン96)

身体の調子に気を取られてしまっていたけど、まったくの見当違いなのだなぁと。 目を閉じて、身体の感覚器官を超えた奥に、まったく揺るがない確かな感覚がある部分。そしてそれは、この世界全ての中にある確かさ。 私だけではなく、全てに備わっている。 だ…

間違うことが死ぬほどイヤだったのだと受け入れる(W レッスン95) 

「間違い」を指摘されるのが嫌で、だから「間違う」くらいだったら、最初から何もしないって逃げていました。あるいは、「勝った」「負けた」の世界からも逃げていました。 そうすればするほど、「正しい」「間違い」、「勝った」「負けた」の世界を強化して…

無罪という自覚(W レッスン94)

「自覚」を持つだけ、というとてもシンプルな教えです。 シンプル過ぎて、「自覚」だけでいいなんて都合よすぎる感じがして、つい疑ってしまいます。 だけど、複雑な世界に慣れ過ぎていただけで、真実はいつもシンプルで、たった一つ。 この神々しい単純さの…

何が問題だと思っているのかをちゃんと知ろうとする(W レッスン79)

個人の尊厳。 これに尽きる。 「個人」としての尊厳、名誉、利得、称賛、保証。 これを損なうことが「問題」。 なので常に「個人」のこれらを守るために時間を費やしてきた。 そのために「心」を学び、セラピーを受け、セラピーを提供してきた。 そして、だ…