【奇跡講座】 気づきメモ ~Humming~

「欠乏」の夢から目覚めると、「愛」そのものがわたしたちでした。

純粋な氣づき

私の機能(W レッスン186)

神の計画に喜んでこたえたいし、それだけが生きがい。 静かでいたい。 神の声を聞き洩らしたくない。 神の声はひとつしかない。 兄弟の誰ひとりも罪悪の元に置かない。 愛を賛美する声。 日々、神の計画の声の通りに、 自我の主張を全部、聖霊に渡し、兄弟の…

今日、私たちはキリストの目で見ることを練習する(W レッスン174)

頭のおしゃべりは刺々しい。 刺々しいって言う自覚がなかったけど、冷静に観察すると、残酷だし、荒唐無稽だし、はちゃめちゃ、自分本位の巨大な妄想。 とても怖がりで防衛のための計算に余念がない。 トゲトゲ、自我自我、ジガジガ。 けど絶対頭のおしゃべ…

すべてが愛で出来ている(W レッスン172)

看過すること、無関心であること、という意味を誤解していたことに改めて氣がつきました。 マザーテレサの「愛の反対は無関心」という言葉を鵜呑みにしていましたし、さらには、調べてみるとこれはマザーテレサの言葉ではなかったみたいです!! (情報やイ…

心は愛で出来ている(W レッスン171)

「どうせ私は愛される資格はない。だから、私も誰も愛さない」 こんな信念を胸に秘めてきた。今考えると、crazyだなぁ。ほんとにつくづく。 この信念を隠し持っていたことをはっきりと意識に上げることをしてこなかった。 どこかで、この信念がひっくり返る…

本当に大きな誤解だった・・・(W レッスン170)

私たちは、皆、確かさという愛そのもの、「神の子」であるということは、この世界で私たちは何もする必要がなかったし、この世界がフェイクだった、、、。 そしてこのことを、神から「犠牲」を被っている、と感じたり、「欠如」を感じたり、空白を「恐れ」と…

恩寵を映し出す眼差し(W レッスン169)

目が離せないほど澄み切った佇まいや、差し出された豊かな愛に出会うと、心の底から救われた気持ちになるし、拝みたいほどの感謝の気持ちで胸いっぱいになる。そして、自分もそうありたいと思う。だけど、これを願望にしてしまうと、「欠乏」からの願いとな…

聖霊と共に見る(W レッスン168)

心の使い方を根本から間違っていたのです。 私は、この地上で生きていると思っていて、この不確かで不安定で狂気に満ちた幻の部分を本物だと思い込み、この地上でなんとかしょうと日々四苦八苦し、そこに心を埋没させていたのです。 そしてその苦しみを認め…

私たちの生命は私たちが想像しているようなものではない(W レッスン167)

分離していないということを感じる。 この感覚を深く味わおう。 散らしている心を内側に取り戻す。 あちこちに飛ばしていた意識をひとつにする。 黙って座る。 私たちの生命は私たちが想像しているようなものではない。 当たり前の奥に、痛みの奥に、苛立ち…

感触(W レッスン166)

分離の世界が提供する不確かさの正反対を受け入れる。 喜びって無条件。 ひとつもこの世界が主張している条件は必要がない。 そして、私が喜びなら、周りの人もすべて喜び。 素直に神の子の自覚を受け入れるだけ。 以前は受け入れたくても、頑なに「思考」が…

夢を越えて(W レッスン165)

いつまでも「罪悪」「恐怖」「孤独」「生死」の夢を握りしめておくのをやめないでいるのは、この夢(幻想)が往古から続き、あまりにも馴染み深く、疑うことも忘れてしまっているから。 時間と空間を捏造し、その中で「罪悪」「恐怖」「孤独」、そして「生死…

優しいまなざし(W レッスン164)

イエスや観音様の優しいまなざし。 どうしたらあのような慈愛に満ちたまなざしになれるのだろうかと密かな目標として思っていた。 そして、その反面、とうていそんな器じゃないし、犠牲心で生きていかなきゃいけない気がして拒否していた。 長い間、大きな勘…

深刻さの演出としての死を優しく看過する(W レッスン163)

虐待のニュースを見るとはらわたが煮えくり返るほど怒りが噴出する。 子どもにもしものことがあったらと想像もしたくない絶望的な感覚を心の奥に押し込んでいる。 このまま世界が混乱してこれまでのような生活が出来なくって惨めに死んでいくことを想像する…

私は、神が創造したままの私である(W レッスン162)

昨日の「不機嫌さ」というピンポイントの心の隅のひだにたどり着いて感謝しかない。 これまでも、「犠牲心」や、「拗ねている心」とか、「愛の欠如」という言葉で、どんどんと闇が暴かれていってたのだけど、 「不機嫌さ」が一番しっくりきました。 幼いころ…

「なんで怒ってるの?私のせい?」(W レッスン161)

コースの表現では、分離による「罪悪」、「怒り」、「不平不満」という言葉で表されていると思いますが、 私のこれまでの人生においては「不機嫌さ」という表現がしっくりきます。 外側の世界に見ていた「不機嫌」さ。 幼いころはつねに不機嫌な母や祖父のご…

何ものであるかの自覚(W レッスン160)

「恐怖」で動く。 例えば、 「死なないように」 「食べていかないといけないから」 「何もしないって無価値だと思うから」 「認められないと存在してはいけない」「〇〇がないと、無能だから」 無数にある「恐怖」から波及した信念。 この「恐怖」で動いてい…

すでに癒されているという前提(W レッスン159)

キリストの心眼にゆだねれば、この世界はすでに癒されている。 この心眼を取り戻したいです。 私は退きます。 退くこと、訂正すること、静かにしていること。 そうして、真の心眼を迎えることができますように。 正気の心を取り戻せますように。 ・・・・・ …

(W レッスン158)

この世界に前のめりになって参加しなければならないと思い込んでいて、この世界で目に付く善悪や損得や優劣に翻弄されていたけど、 私たちは「心」だった。 私は神に創られ、祝福されている。 ということは、全世界のすべての人も同じ。 それ以外の部分を見…

(W レッスン157)

何日か前から、寝て見る「夢」と現実という「夢」は同じだし、寝て見る「夢」も訂正が可能だと氣づいてから、寝て見る「夢」も訂正の対象にしている。 寝て見る「夢」では、いつも何か”取り繕っている”。 失敗を取り繕ったり、罪から免れようとしたり、何か…

退きます。寝て見る夢からも物質世界という夢からも(W レッスン155)

今朝の夢は、遅刻をして必死に走っていて、なかなか思う通りに走れず、焦っていて、遅刻の言い訳を捻り出しながら走っている、というものだった。 ヘトヘトな状態で目が覚めた。 睡眠取ったのに、起きた時疲れてるという状態。 「思考」のみで作り上げた世界…

反応を見張る必要もなくなる(W レッスン154)

「ゆるし」を受け入れるだけが唯一の役割だということを受け入れるのに抵抗がありましたが、私がこれまで体験してきたすべてに対しての「ゆるし」が、天国において割り振られている役割だということが、どう考えても一番自然なことでした。 「なぜこんな人生…

(W レッスン151)

マインドではなくハートが本性。 目についている自我の世界を看過する。 氣づきや体感した真理に、微妙に控え目になったり、どうせわかってくれないとか、どうせ誰も求めてないとか、どうせ抵抗されて自分がしんどくなるとか、そんなことはまったく重要では…

全部私、全部私たち(W レッスン150)

私たちは、神により神と同質のものとして創造されたときに与えられた智識を失ってはいない。 すべての心はひとつのものとして創造されているので、私たちはその智識をすべての人のために思い出すことができる。 そして、私たちの記憶の中には、兄弟たちが真…

意欲(W レッスン149)

「奇跡講座」は「神の子」への自覚を取り戻させてくれた。 見ていた混乱と矛盾と恐ろしい世界から、目を離しても何の問題もないということを辛抱強く無理強いすることなく伝え続けてくれた。 怖がっているときも、ずっとじっと待っていてくれた。 大丈夫だと…

防衛と緊張はセット(W レッスン148)

ずっと緊張していただけだったんだなぁ~。 思考を張り巡らせて、計算ばかり。 「防衛」のために五感を使うから、結局「見る」ところも緊張を生じされるところばかりを見ている。 そしてだからこそさらに緊張する。 緊張していると、単純に苦しい。 身体はこ…

自分を責めたいという誘惑(W レッスン147)

「愛」はふさわしくない、ということにしておこうとするという自我意識。 だから、不十分さを演出し、それを捏造し、ストーリー化させて、そのストーリーに入り込み、分離意識を味わっている。 人を責めることがなくなったら、今度は自分を責める。 罪悪のス…

サウナでは整わない(W レッスン146)

神が創造したままの私は、自分が「世界」だと思っていたものすべてから、世界を解き放ちたい。世界が実在しないからこそ私は実在するのであり、私は自分自身の実相を知りたいのだから。 (L 132 15:2.3) 「肉体」はコミュニケーションに使われるだ…

静かになる(W レッスン143)

自我の欲求を浮上させてあげる。 悪夢から逃れたいために叫んでいるけど、優しく背中や肩をさすりながら、 それは「夢なんだよ」と片時も離れないでいてくれたイエスと聖霊が囁いてくれていた。 叫び声が大きいときには、その優しくて確信に満ちた囁きが届か…

教えてください(W レッスン142)

私が神とひとつであることを、思い出せますように。 自我の言い張りである「私は知っている」「私は私の幸せを知っている」「私は私を知っている」 これをやめたい。 退きたい。 どうぞ、自我の向こう側へ連れて行ってください。 ・・・・・ ワークブック レ…

退く練習(復習Ⅳ 序・レッスン141)

どれだけの間、赦そうとしない夢を見続けていただろう。 そうして、その夢に入り込んでいる間であっても、神に抱かれ、その腕の中で眠りこけていただけだった。 目を覚ますだけでよかった。 眠っているふりをしてても、神はそっとしてくれておいた。 自らが…

「心」そのものの目的を思い出し「心」そのものを生きる(W レッスン139)

自我の満足を満たさないように注意深くなる、聖霊に指示を仰ぎ、自我の主張を脇におくと、心が深く満たされていくようになってきた。 自我にとってはわけのわからないことだ。 だって、この世界に対して機能していないし、生産的ではないし、役に立っていな…