純粋な氣づき
鵜呑み、無自覚、自動反応。 真理を見ない決断を、無自覚のままに決めている。 この信念を解放するために、この物理時間はあるのだとコースは諭してくれる。 これまでは、「自我」を強化することばかりに時間を使ってきた。 この「個人」がいかにこの世界に…
肉体とマインドが自分だと思い込むことで、真理を遠退けていたなんて、最初は理解できなかったけど、 心が静まっていくと徐々に思い出されていった。 肉体を罪悪の象徴として扱っていたのは私なのだった。 私の決断で、肉体とマインドを作り出し、 その上そ…
人に向けていた怒りの全てが、本当は自分への罪悪だったと本当に腑に落ちるのに、かなりの時間がかかった。 頭ではわかっているつもり、という状態を長い間続けてきた。 けど、正直さの純度が深まると、一ミリの違和感が見抜かれていく。 そうしたら、その違…
傷ついた、傷つけられたと言い合い、「個人」を主張しなければ、生き残れないと思い込む。 さらには、傷つき、傷つける、というアイデンティティーから離れないために、必死で「罪悪」の夢を紡ぎ続ける。 これまで、自分を「個人」と思い込んでいたため、ず…
自分は何かの「犠牲」になるのが相応しいと思っていました。 ですが、その思考は自我だったのです。 そしてその自我を作ったのも私たちの力。 その力の源は愛。 だからもう見間違えない。 本当は「愛」だけが動機だったのです。 だから、もう迷いません。 迷…
朝から泣けてます。 このレッスンに芯からホッとしています。 この世界にどっちつかずの気持ちがあり、宙ぶらりんでしたが、「心」に戻るとしっとりとひろがる言葉では言い尽くせない安らぎがあるのです。 なので、この世界に対してまだある未練に自責の念を…
真理が訪れるとき、その翼の中に抱いてくるのは、完璧な恒常性という贈り物と、苦痛に直面してもひるまずそれを超えたところを確信をもってじっと見続ける愛である。 ここにこそ、癒しの贈り物がある。 真理は防衛を必要とせず、したがって、攻撃は不可能だ…
条件からも意味からも解釈からも自由。 確かさだけが実在している。 ただそこに心を向ける。 どんなに空想や妄想にかられていても、そうではない確かさは最初からあるのだから。 だから、もう時間を追いかけ、そこに意味をもたせる必要はない。 この静けさが…
レッスン92 6:1~4・7:1~6・8:1~2・9:1~3 弱さは闇の中で見ているので、愛と赦しの中にある目的が見えない。 弱さは、ほかのすべてが自分と違っており、分かち合いたいものなど世界中に一つもないと見ている。 それは裁き、咎めるが、…
人や世界に対して「嘆いている」と思い込んでいたけど、本当は自分を「嘆いていた」だけ。 「嘆き」は分離の専売特許。 誰のことも「嘆く」必要なんてない。 自分と兄弟をこれ以上貶める必要はない。 皆、すでに、天国にいる。 過去という幻想の中で握りしめ…
外側や肉体に向けて、「個人」の問題にかかわずらっていた意識を、 ふっと内側の優しくて強くて心地よい部分に向けてみる。 このほんのわずかな瞬間を繰り返すだけ。 そうして、いつのまにか、心の中で分けていた人々が、 ただの一つのものに溶けあっていく…
「間違い」を指摘されるのが嫌で、だから「間違う」くらいだったら、最初から何もしないって逃げていました。あるいは、「勝った」「負けた」の世界からも逃げていました。 そうすればするほど、「正しい」「間違い」、「勝った」「負けた」の世界を強化して…
「自覚」を持つだけ、というとてもシンプルな教えです。 シンプル過ぎて、「自覚」だけでいいなんて都合よすぎる感じがして、つい疑ってしまいます。 だけど、複雑な世界に慣れ過ぎていただけで、真実はいつもシンプルで、たった一つ。 この神々しい単純さの…
救済に必要なのは、ただ一つの考えを受け入れることだけである。 すなわち、あなたは神が創造したままのものであり、 自分で作り出したものではないという考えである。(7:1) 私がゆるされるということは、あなたもゆるされる、世界中の人達がゆるされる…
「自我」は言う。 「私は被害者だ!」と。 「私には力がないので、私の周りの人やものに幸せにしてもらう必要がある!」と。 そして、その思いは叶う。 人やものをずっと追いかけ、幸せの正解を求め彷徨う。 何故叶うのか? それだけ「私」の想念には力があ…
「今」に集中したり、「今」に溶け込むことで、”肉体”は消え去っているのにもかかわらず、ただ「そうなのだ!」と認めることをしていないだけなのですね。 肉体があり、肉眼が見ているものを「本物」だと信じようとして、頑なになっているだけなのですね。 …
「私は世の光である」ということを自分だけに言われているとしたら、 イヤイヤそんなわけないでしょう~と、謙遜しようとするけど、そうではなくて、 この言葉は、すべての人に向けられているのだ。 この言葉だけではなくて、「コース」の言葉は全世界の全住…
小さなころは、人間のイヤなところ、ズルいところ、汚いところばかり見てきて、 ほぼ楽しい思い出がなくて、本当に絶望していたし、家族も嫌いでしたのでひとりになりたかったし、こんな場所から逃げ出したい、と思っていました。 見事にガッカリが連続の人…
「自我」の作った世界が”無念夢想の時間”だとは完全には思いきれなかったけど、 「自我」の世界を、ちゃんと真っ直ぐ見れば見るほど、 見たくないものもちゃんと見れば見るほど、 そこには何もないんだって明らかになっていった。 私自身もなかった。 「主体…
「コース」に出会うまでは「自我」をどう扱わなければならないか?を真に理解できていなかったから、 なだめたり、すかしたり、褒めたり、けなしたり、いなしたり、受け入れたり、拒絶したり、おもねったり、・・・・・・。 本当に長い事、「自我」を上げた…
「不足している」という自我の主張。 その反応や衝撃や激情的な感覚を持っていることが当たり前だった。 そして、「コース」にて正気の目を取り戻したら、 当たり前だと思い込もうとしていたんだと氣がついて、 「不足ごっこ」をそっと手離した。 それと入れ…
奇跡講座で述べられている「誘惑」とは、 心身を自分と思い、 人との違いを見つけ、自分や人を上げたり下げたりして、自分も人も世界もあらゆるすべてを罪の中に閉じ込めておこうとする、分離思考の働き。 そして、悩みと苦しみと比較の中に入り込み、本当の…
私たちの「本当の姿」を受け入れられたら、 それ以外の姿はもう見えないのと同じに。 夢と同じでただ過ぎていく。 それでも、まだ、しばらくはこれまでの長年の「自我」での反応で、 見えてないものとして見過ごせないだろうけど、 そんなときは、立ち止まり…
「思考」自体は不確かなもの。 あれは良い、あれは良くない・・・、あれは正しい、あれは間違っている・・・、 あれは美しくて、あれは汚い、あれは優れていて、あれは劣っている・・・・、 それぞれの「解釈」が飛び交っている。 それぞれの「解釈」の違い…
内側の「光」をためらわない、ということ。 外側のさまざまな「基準」や「条件」や「意味」、「価値」をそっと横眼に退けて、 無条件に湧きあがる喜びに素直でいるということ。 もし、「光」をためらっているのなら、 それは外側の「基準」「条件」「意味」…
「今」以外の居場所はどこにもないのに、 頭の中に入って色んな所に逃げようとする。 「今」という純粋な意識だけが本物。 それ以外は妄想、幻。 妄想や幻は何の力もないので、それはそれで抵抗する必要もない。 感情が揺さぶられ、一時的に魅惑的に思えたり…
純粋な空間。 何も塗られていないキャンバス。 スクリーン自体。 こちらが「生命」で「リアル」。 その中で蠢いて、変わりゆくカタチのように見えている方は、 消えていくもの。 消えていくものということは消えているものということで「無」。 見ている側と…
私自身についての真理である無垢性を、私は受け入れることができる。理解あるまなざしで見るとき、私に見えるのは世界の聖性だけである。なぜなら、私は自分自身について抱えている考えしか映像化することができないからである。(1:4.5) 「聖性」だけ…
正しさで生きてると、素直さが引っ込んでしまい、素直や単純さや純粋さを出すことを恥ずかしく感じるようになる。そうすると、「感情」が抑圧される。素直に喜ぶ。単純に喜ぶ。純粋に喜ぶ。これは「正しさ」を主張してる間は不要だし、感じられなくなる。「…
私の攻撃的な考えが、決して傷つくことのない私の強さを攻撃している。 ・・・・・ 攻撃的な考えってなんだろう?と考えると、 「違い」を見つけて、 良いとか悪いとか、好きとか嫌いとか、わかるとかわからないとかって裁いてること。 「違い」を見ることが…