【奇跡講座】 気づきメモ ~Humming~

「欠乏」の夢から目覚めると、「愛」そのものがわたしたちでした。

用語の解説 3.赦しーキリストの顔

赦し、という性質は、この世界の幻想の中で、もっとも「正気(天国)」に近いもの。 赦し、という知覚のみが、幻想の世界に機能できる、唯一のもの。 赦し、とは「ないものをない」と認めること。 壊れるものは、最初から「ない」。 そこに期待や一縷の望み…

用語の解説 2.自我ー奇跡

赦す。 「見て、見過ごす」。 「地獄を地獄と見る」。 そして地獄は幻想だと知っていることを認める。 反応は不可能だった。 世界に反応できないのは、それが幻だから。 この世界で名づけられないもの。 それだけがリアル。 ・・・ 用語の解説 2.自我ー奇…

用語の解説 1.心ー霊

声高々に主張するからといって「自我」には何の力もない。 実体がない。 どんなにそれが重要に見えても、どんなにそれに価値があるように演出しても。 その喧噪に愛の泣き叫びを感じたら、もう素直に降参するだけ。 これまで、間違ったところ、あるいは限定…

マニュアル編 用語の解説 序文

「言葉」の必要がない世界がわたしたちの本当の居場所。 これは「体験」によってのみ「体験」される。 質問がなくなったとき、この一つという真実が体験される。 看過(スルー)の理由を探さなくても、看過(スルー)しかできないことに気づく。 でも、今、…

二十九.その他のこと

そうだった。 わたしは「ただの人」だ。 それを認めるのがいやだった。 もっと言えば「ただのおばちゃん」だ。 おばちゃん、という響きに抵抗があるけど、でも、「何者でもない」ことに、めちゃくちゃホッとする。 そうだそうだ。 「ただのおばちゃん」を認…

二十八.復活とは何か

何からも区別されていない。 「生命」だけがある。 「身体」はコミュニケーションの媒体として在る。 それは「空」をわかち合う。 「生命」をわかち合う。 「空」はくつろぎ。 愛はくつろぎ。 ・・・ 二十八.復活とは何か ごく簡単に言って、復活とは死を打…

二十七.死とは何か

「肉体」に対する意味が変わる。 全体がわたしだった。 たまたま、夢の中では、一番近くだと認識しているものとしての濃さが「肉体」を演出していたのだ。 そして、全体側から言えば、愛に濃さを設けていたのだった。 わたしという特別性、罪意識が解かれ、…

二十六.直接、神に到達することはできるか

何も複雑なことはなかった。 リラックス。 何を求めていた? どこまでもくつろいでいることだ。 くつろぐと、瑞々しさにつつまれる。 それが、またわたしをくつろがせる。 これ以上なにがあるだろう。 何も必要ない。 誰とでも、何とでも、その間というもの…

二十五.「心霊的」能力は望ましいことであるか

特別という誘惑は、どこまでもやってくる。 それでも、特別を訴えることの息苦しさに、素直に敏感になったから、すぐに離れられるようになった。 自我の世界に興味がなくなったことで、静かになり、冷静になった。 自我の世界に興味がないので、良い悪いや、…

マニュアル編 二十四.輪廻転生はあるか

もう輪廻転生したくない、という気持ちがあった。 だから、今生で、どうにか悟りたいというふうに思っていた。 でも、それは「自我」を”脅威”と見ていたからだった。 「自我」の世界の、苦しくて、めちゃくちゃで、狂暴な狂ったところはもう懲り懲りだと疲弊…

マニュアル編 二十三.癒しにおいて、イエスには特別な役割があるか

今も昔もわたしたちは「イエス」と一緒にいる。 それはひとつのものだから。 イエスを本当に思い出すときに流れ込むゆるぎなさ、安心感、リラックス、喜び、謝罪、感謝。 この感覚に素直でいよう。 もう、ここから離れない。 離れる必要がない。 擬人化の表…

マニュアル編 二十二.癒しと贖罪はどのようにして関連しているか

限定的である「思考」で見ない。 見ても、それはただのなんでもないもの。 すべてが被造物で、祝福されている。 その気楽さのなかでくつろぐ。 癒され、赦されている。 ごめんなさい。 ありがとう。 愛している。 この”感覚”に素直になる。 ここにきて、「ホ…

マニュアル編 二十一.癒しにおける言葉の役割は何か

この章の言葉を、ちゃんと自分に受け取る機会は「今」だったのかと。 ゆるしを受け入れた分だけ、理解が深まる。 ずっとジレンマに陥っていた。 「神の言葉」を受け取っているのに、躊躇して、表せない。 なぜなら、自我の世界で生きていけなくなるから。 自…

マニュアル編 二十.神の平安とは

今、マニュアルだけに集中できていて、深く心に浸みていきます。 これまでの「気を取られていた」状態とは、「今」以外のどこかに意識が向いているわけで、それはどうしてか?というと、ここ以外のどこかの方が重要だ、価値がある、と思い込んでいるから。 …

マニュアル編 十九. 正義とは何か

ここで述べられる「正義」は、物質世界で言われている「正義」とは逆。 見るところを正すという意味での「正義」のこと。 今まで見ている世界がただ間違っている。 間違っているところをみて間違っているとずっと叫んでいる。 だから、それはそれで、間違っ…

マニュアル編 十八.訂正はどのようにして行われるか

「外」に違いをみて、それに不満を感じて、裁きたくなったときは、間違っている。 けど、ずっと裁く人生だった。 もうへとへとだ。 それに、だからといって、もう責めることはない。 素直に静けさに入っていくだけ。 今はとにかく、静かにいたい。 いっぱい…

マニュアル編 十七.神の教師は、魔術的想念にどのように対処すべきか

「魔術的想念」は、この世界をリアルだと思って、この世界の中での人や物事を動かすことに力を使うこと。 でも、だからといって、「魔術的想念」を信じている人を、裁いて、否定したり、咎めたりすることは、「魔術」の世界がリアルだとでっちあげられること…

マニュアル編 十六.神の教師は、どのように一日を過ごすべきか

この世界という時間軸の中に喜びや満足を期待していたときは、いつも苦しかったなぁと。 今まで、無いところに何かを見つけようとする罰ゲームを続けていたけど、もうそれをやめることをゆるした。 時間の中、思考の中、そして身体の中に未練がなくなってい…

マニュアル編 十五.最後には一人ひとりが審判されるのか

神の審判って、恐ろしい裁きなどではない。 子供のころに見せられた「地獄絵図」は、身体ありきの描写でしかなかった。 だけど、自分が身体だと思い込んでいたし、身体と心はくっついてると思い込んでいた。 身体と心がくっついてる、この不便さ、煩わしさ、…

マニュアル編 十四.世界はどのように終わるのか

目の前のひとりの人に、ただのひとつも「違い」を見なくなる。 それは、「思考」が捨て去られた、ということ。 その「思考」は、止める必要はない。 それはただ見過ごされていく。 この解放以外の解放はない。 そもそも、始まってなどいなかった。 思考の中…

マニュアル編 十三. 犠牲の真の意味は何か

この世界の”見方”を勘違いしてしまっている。 このことを、「犠牲」というんだなぁ。 なにかを得られず、そのことで「がっかりする」とき、わたしは間違っているのだ。 自分のことを、”身体で個人”なんだと思い込んだままでこの世界を見ているかぎり、「がっ…

マニュアル編 十二.世界を救うためには、何人の神の教師が必要か

身体の目で見ている世界は「夢」。 その大元だけがリアル。 大元の確かさだけが実際にあるだけだ。 「夢」を「夢」だと認め、「夢」ということに意識的であればいい。 真実に触れると、なにも話せなくなる。 その必要がなかったんだと感じる。 私は私を譲っ…

マニュアル編 十一. どのようにすれば、この世界で平安が可能となるのか

あらゆるノイズも喧噪も、聖霊は「無音」で応える。 「無音」が真実そのもの。 「無音」の中で安らいでいる。 ・・ 「無音」は怖いものだと思っていたし、何もかもが終わってしまうと思っていたけど、逆だった。 逆にいけばいくほど、ゆるぎなさがあった。 …

マニュアル編 十. 判断は、どのようにして放棄されるのか

「判断」を喜んで手放したい。 だって、こんなに楽なんだもん。 これ以上、どんな状態を望むというのだろう。 今、だけが真新しく差し出されている。 その新鮮さに触れ続けること以外、望む理由はどこにもない。 「わからなさ」のまんま。 被造物の喜びを讃…

マニュアル編 九. 神の教師は生活環境を変える必要があるか

私が今ここにいる理由を、自分で判断するのをやめ、ゆだねていくほどに、より一層、至福を感じている。 コップもテーブルも、 庭も石ころも、 夫も隣人のご婦人も、 全部、私。 すべてがひとつらなりだった。 今、まだ肉体の目が映す間は、それをさまざまな…

マニュアル編 八.どうすれば難しさの序列を知覚することを避けられるか

何の問題もない、ということに、自我は動揺し、抵抗する。 何かしら反応しないと間が持たない。 でも、この「間」こそが空の入り口。 「間」に佇む。 ほっこりとし、しっとりとし、究極の甘美さにゆだねる。 ・・・ 難しさに序列があるという信念が、この世…

マニュアル編 七.癒しは繰り返し行われるべきか

「心配」し続けないと「愛」しているという証明にならない、という恐れがなかなか消えなかった。 なので、本来なら、「愛」にくつろぎ、ただ祝福の中にいればいいだけなのに、気がかりなことを捏造して、それに取り組もうとしてしまったりしようとする。 だ…

マニュアル編 六. 癒しは確実かどうか

ためらいなく、気づきを共有する。 それに任せるだけでいい。 どう受け取られたか気に病む必要は一切ない。 喜びを止める必要は全くない。 楽園にて。 ・・・ 六. 癒しは確実かどうか 癒しは常に確実である。 幻想が真理のもとへ運ばれるにまかせた上で、そ…

マニュアル編 五. 癒しはどのようにして達成されるのか Ⅲ. 神の教師の機能

神に創造されたままだという確信のままでいるだけ。 もうこれがゆらぐことはない。 これまで、目を覆うような出来事として反応してきた数々が、霞だったとわかる。 喜びと祝福以外、湧き起らない。 誰一人として、この事実から漏れることはない。 すべてが喜…

マニュアル編 五. 癒しはどのようにして達成されるのか Ⅱ. 知覚の変化

世界は何もしない。 私も世界に何もしない。 両方は同じものである。 おー---! 同じものだ。 本当に。 優しく微笑めば優しさにあふれる。 苦しめば苦しみがあふれる。 見たいように見ている。 世界が影響したり、世界に影響してると思い込んでいる・。 …