【奇跡講座】 気づきの記録 ~Humming~

「欠乏」の幻想から目覚めると、「愛」そのものだったと氣づきます。

私の機能(W レッスン186)

神の計画に喜んでこたえたいし、それだけが生きがい。 静かでいたい。 神の声を聞き洩らしたくない。 神の声はひとつしかない。 兄弟の誰ひとりも罪悪の元に置かない。 愛を賛美する声。 日々、神の計画の声の通りに、 自我の主張を全部、聖霊に渡し、兄弟の…

求めていたものは「ひとつ」だという自覚(W レッスン185)

分離の夢を見ていたいと願い、この肉体を自分と思い込もうとしたけど、 もう夢はここまでにしたい。 本当は分離なんか望んでいないのに氣がついたから。 「ひとつ」に戻る事の安らぎやときめきに勝るものはない。 「愛」に溶け込む以外の場所に居場所はない…

これまで間違っていた、それを認められて良かった(W レッスン184)

聖霊目線側への自覚だけが求められていました。 聖霊目線が自分たちだという真実に対して、恐れ多い感覚こそが、一体感を否定していた自我でした。 個別の存在であることをやめてよくて、 すべての人がひとつであることの中に寛ぐだけでよいのです。 これか…

卑小さから目を覚まして神を体験する(W レッスン183)

神の呼びかけの中にいる以外のところは不安定で孤独で喜びのない場所だったし、 常に怒りに満ち、不平不満を見つけた。 そして、それは選択の問題だったし、夢を見ていた。 私はもう「自我」の中にいることは選ばない。 いる必要がないことも、十分わかった…

数秒間の中に感じる永遠(W レッスン182)

目を閉じるその一瞬の中に「安らぎ」を感じることが出来るようになってきたような・・・。「あぁ、これかぁ。うん、ここだよなぁ」って。一瞬だけど、その安らぎが、本物だという確信はゆるぎない感じがする。そして、やっぱり、コースの言葉には癒されるし…

一瞬前に見たことにも、関心をもたない(W レッスン181)

レッスン181は前回は抵抗がありすぎて、嫌で仕方なかった。 「ゆるし」を差し出すのがイヤな人がいたから、曖昧にしてなんとなくわかったふりしてスルーした。 けど、今回は、なんて素晴らしいレッスンなんだと感激している。 よかった・・・・・。 楽に…

グロさを全部、差し出していく(W レッスン180)

映画や漫画、世界が流しているニュースで出くわすグロさ、非常さ、最低さ。 それが自分の中のものだったとはとても受け入れられなかったけど、凄まじい「悪」を握りしめていた。 というか握りしめておくのを選択していた。 「分離」というストーリーのつじつ…

個人の目のままだから安らかさが見えなかった(W レッスン179)

個人単位や自分の家族単位という「特別性」で物事を考えることは「防衛」を繰り返しているだけになる。個人や身内単位という「特別性」を「守り続けている」ということは、延々と「恐れ」への対処をしていることになり、その「想念」の強さゆえに、その「想…

今こそ生命を生きる(W レッスン178)

怖くて後回しにしてきた「家族」への訂正。 思いがけず、自分の家族への愛着、執着に関して真剣に取り組むことになり、 「家族」という特別性から出てくる所有の愛着、執着を聖霊に差し出し続けた。 「家族」という「形」への愛着、執着も、ほかの幻想の世界…

分離時の”癇癪”だったことに本当に氣がつく(W レッスン177)

この世界での「差異」において求められる喜びや幸せは、「癇癪」、「悲鳴」のようなものだったのだと氣がつきました。 「分離」の決断への「罪悪」、つながりをシャットアウトした瞬間の「孤独」の「悲鳴」。 それらを喜びや幸せだと取り違えていたのです。 …

ぜんぶ、間違ってました(W レッスン176)

全部間違っていました。 これまで、私、全部間違っていました。 何もわかっていませんでした。 「愛」として見る以外のものは全部間違った解釈でした。 「愛」に限定はなく、「愛」は無条件で、何もかもが愛の表れで、それを分けることは不可能だったのです…

どんな反応だろうが関係ないのだった(W レッスン175)

敵意だろうが、懇願だろうが、忖度だろうが、関係なかった。 「思考」が織りなす世界の反応に「思考」は反応するけど。 「思考」の世界はリアルさに一切触れることができないので、 リアルさはただ光と愛で満ちて延長し続けている。 一度は「思考」に留まり…

今日、私たちはキリストの目で見ることを練習する(W レッスン174)

頭のおしゃべりは刺々しい。 刺々しいって言う自覚がなかったけど、冷静に観察すると、残酷だし、荒唐無稽だし、はちゃめちゃ、自分本位の巨大な妄想。 とても怖がりで防衛のための計算に余念がない。 トゲトゲ、自我自我、ジガジガ。 けど絶対頭のおしゃべ…

額は穏やかで、瞳は静か(W レッスン173)

レッスン155の文章は心地よいし好きな文章。 ただ、最初は自分がそうなれるとは到底思えなかった。 一歩退くということは、自我に先導させることをやめること。 この退くということが自我にとっては「犠牲」を伴うように感じていたけど、 この世界自体が…

すべてが愛で出来ている(W レッスン172)

看過すること、無関心であること、という意味を誤解していたことに改めて氣がつきました。 マザーテレサの「愛の反対は無関心」という言葉を鵜呑みにしていましたし、さらには、調べてみるとこれはマザーテレサの言葉ではなかったみたいです!! (情報やイ…

心は愛で出来ている(W レッスン171)

「どうせ私は愛される資格はない。だから、私も誰も愛さない」 こんな信念を胸に秘めてきた。今考えると、crazyだなぁ。ほんとにつくづく。 この信念を隠し持っていたことをはっきりと意識に上げることをしてこなかった。 どこかで、この信念がひっくり返る…

本当に大きな誤解だった・・・(W レッスン170)

私たちは、皆、確かさという愛そのもの、「神の子」であるということは、この世界で私たちは何もする必要がなかったし、この世界がフェイクだった、、、。 そしてこのことを、神から「犠牲」を被っている、と感じたり、「欠如」を感じたり、空白を「恐れ」と…

恩寵を映し出す眼差し(W レッスン169)

目が離せないほど澄み切った佇まいや、差し出された豊かな愛に出会うと、心の底から救われた気持ちになるし、拝みたいほどの感謝の気持ちで胸いっぱいになる。そして、自分もそうありたいと思う。だけど、これを願望にしてしまうと、「欠乏」からの願いとな…

聖霊と共に見る(W レッスン168)

心の使い方を根本から間違っていたのです。 私は、この地上で生きていると思っていて、この不確かで不安定で狂気に満ちた幻の部分を本物だと思い込み、この地上でなんとかしょうと日々四苦八苦し、そこに心を埋没させていたのです。 そしてその苦しみを認め…

私たちの生命は私たちが想像しているようなものではない(W レッスン167)

分離していないということを感じる。 この感覚を深く味わおう。 散らしている心を内側に取り戻す。 あちこちに飛ばしていた意識をひとつにする。 黙って座る。 私たちの生命は私たちが想像しているようなものではない。 当たり前の奥に、痛みの奥に、苛立ち…

感触(W レッスン166)

分離の世界が提供する不確かさの正反対を受け入れる。 喜びって無条件。 ひとつもこの世界が主張している条件は必要がない。 そして、私が喜びなら、周りの人もすべて喜び。 素直に神の子の自覚を受け入れるだけ。 以前は受け入れたくても、頑なに「思考」が…

夢を越えて(W レッスン165)

いつまでも「罪悪」「恐怖」「孤独」「生死」の夢を握りしめておくのをやめないでいるのは、この夢(幻想)が往古から続き、あまりにも馴染み深く、疑うことも忘れてしまっているから。 時間と空間を捏造し、その中で「罪悪」「恐怖」「孤独」、そして「生死…

優しいまなざし(W レッスン164)

イエスや観音様の優しいまなざし。 どうしたらあのような慈愛に満ちたまなざしになれるのだろうかと密かな目標として思っていた。 そして、その反面、とうていそんな器じゃないし、犠牲心で生きていかなきゃいけない気がして拒否していた。 長い間、大きな勘…

深刻さの演出としての死を優しく看過する(W レッスン163)

虐待のニュースを見るとはらわたが煮えくり返るほど怒りが噴出する。 子どもにもしものことがあったらと想像もしたくない絶望的な感覚を心の奥に押し込んでいる。 このまま世界が混乱してこれまでのような生活が出来なくって惨めに死んでいくことを想像する…

私は、神が創造したままの私である(W レッスン162)

昨日の「不機嫌さ」というピンポイントの心の隅のひだにたどり着いて感謝しかない。 これまでも、「犠牲心」や、「拗ねている心」とか、「愛の欠如」という言葉で、どんどんと闇が暴かれていってたのだけど、 「不機嫌さ」が一番しっくりきました。 幼いころ…

「なんで怒ってるの?私のせい?」(W レッスン161)

コースの表現では、分離による「罪悪」、「怒り」、「不平不満」という言葉で表されていると思いますが、 私のこれまでの人生においては「不機嫌さ」という表現がしっくりきます。 外側の世界に見ていた「不機嫌」さ。 幼いころはつねに不機嫌な母や祖父のご…

何ものであるかの自覚(W レッスン160)

「恐怖」で動く。 例えば、 「死なないように」 「食べていかないといけないから」 「何もしないって無価値だと思うから」 「認められないと存在してはいけない」「〇〇がないと、無能だから」 無数にある「恐怖」から波及した信念。 この「恐怖」で動いてい…

すでに癒されているという前提(W レッスン159)

キリストの心眼にゆだねれば、この世界はすでに癒されている。 この心眼を取り戻したいです。 私は退きます。 退くこと、訂正すること、静かにしていること。 そうして、真の心眼を迎えることができますように。 正気の心を取り戻せますように。 ・・・・・ …

(W レッスン158)

この世界に前のめりになって参加しなければならないと思い込んでいて、この世界で目に付く善悪や損得や優劣に翻弄されていたけど、 私たちは「心」だった。 私は神に創られ、祝福されている。 ということは、全世界のすべての人も同じ。 それ以外の部分を見…

(W レッスン157)

何日か前から、寝て見る「夢」と現実という「夢」は同じだし、寝て見る「夢」も訂正が可能だと氣づいてから、寝て見る「夢」も訂正の対象にしている。 寝て見る「夢」では、いつも何か”取り繕っている”。 失敗を取り繕ったり、罪から免れようとしたり、何か…