【奇跡講座】 気づきの記録 ~Humming~

「欠乏」の幻想から目覚めると、「愛」そのものだったと氣づきます。

全部、味方・全部、被造物(レッスン196)

自分への攻撃を、ただ外に転写していただけだということが、真にわかるまでは、自分ではなく、外の人や出来事を裁いていると思い込んいる。 この部分は本当に根強い欲求であり、根強い信念だなぁと思う。 苦しみに対して、苦しみが麻痺して感じられない間、…

緊張が解けたところに感謝はうまれる(W レッスン195)

冒頭の言葉はぐさっときます。自我意識はなんてさもしくてさみしい意識なんでしょう。人の不幸が自分の喜びという感覚って、本当に狂ってました。人を妬んだり羨ましがるのも、攻撃の一つの形であり、その感覚が自分をさらに攻撃するのでした。生きとし生け…

たった今愛につながる意欲(W レッスン194)

つい自分で、先回りして、計画し、段取りし、そのオチまで決めて、その通り運ばせようとしてしまう。それをやめて、今、愛につながる。たったこれだけのこと。未来への不安も、過去への後悔も、全部「今」に持ってきて、安らぎの源泉で休らう。それが、聖霊…

(W レッスン193)

赦したくないのは、自分だけ損しているという感覚があった、すなわち欠乏意識を握りしめていたということと、やはり「ひとつ」になりたくないという感覚でした。 赦されてしまうことを赦さない感じ。 肉体の視覚からは、「ひとつ」であるなんて、とうてい不…

心はまっ白のままだった(W レッスン192)

「心」の中に怒りを居座らせたままにしておくのは、この世界を間にうけてしまっていたから。だけど、この世界は、私の心を映し出しているに過ぎない。なので、心をただじっと見つめる。 「分離の世界にしがみつかないといけない、これを選んだのは私だから。…

神の計画にゆだねるという真の意味が(W レッスン191)

もうすでに成っているということを認めればいい。 どうにか成ろうとする必要はまったくなかった。 成ろうとして具体的な行動をすればするほど、成ってることが見えなくなる。 内側にある真の自分を見失う。 真の自分とつながることですべてがもうすでに成っ…

濃厚な今(W レッスン190)

苦痛を終わらせるためにあらゆることをしてきたけど、 それによって苦痛をでっちあげ、強化してきた。 過去を振り返ったり、未来に期待を託せば託すほど、苦痛を選択しているのだ。 肉体を信じ、タイムラインに参加すれば、苦痛はセットになってついてくる。…

神の被造物(W レッスン189)

内側の神の愛につながる以上に素晴らしいことはなかったなぁ。 そして、その体験を与えてくれるのは、神の被造物であるこの世界と兄弟。 神の被造物として受け取ることが唯一の機能。 これまで、裁きの対象としてしか見てこなかったものへの、関わり方扱い方…

すべての視覚は内側で始まる(W レッスン188)

自分の内側に認めた光が、そのまま転写され、世界に光を認めることになる。 とても単純なことなのに、その単純さをどこまでも疑っていたんだなぁ。 世界に罪を擦り付け、それを裁くことで、いつまでも、救済から免れようとしてきた。 世界を嘆くことに氣を取…

犠牲ではなくて、喜び(W レッスン187)

自分を罪悪の根元だと信じていると、思う事も、やることなすことも、全部に「犠牲」という感覚を感じてしまう。 「私は悪い人間だから、だから犠牲を払わなければならない」 「どうして私ばっかり、犠牲にならなきゃいけないの」「誰かの犠牲になるのは避け…

私の機能(W レッスン186)

神の計画に喜んでこたえたいし、それだけが生きがい。 静かでいたい。 神の声を聞き洩らしたくない。 神の声はひとつしかない。 兄弟の誰ひとりも罪悪の元に置かない。 愛を賛美する声。 日々、神の計画の声の通りに、 自我の主張を全部、聖霊に渡し、兄弟の…

求めていたものは「ひとつ」だという自覚(W レッスン185)

分離の夢を見ていたいと願い、この肉体を自分と思い込もうとしたけど、 もう夢はここまでにしたい。 本当は分離なんか望んでいないのに氣がついたから。 「ひとつ」に戻る事の安らぎやときめきに勝るものはない。 「愛」に溶け込む以外の場所に居場所はない…

これまで間違っていた、それを認められて良かった(W レッスン184)

聖霊目線側への自覚だけが求められていました。 聖霊目線が自分たちだという真実に対して、恐れ多い感覚こそが、一体感を否定していた自我でした。 個別の存在であることをやめてよくて、 すべての人がひとつであることの中に寛ぐだけでよいのです。 これか…

卑小さから目を覚まして神を体験する(W レッスン183)

神の呼びかけの中にいる以外のところは不安定で孤独で喜びのない場所だったし、 常に怒りに満ち、不平不満を見つけた。 そして、それは選択の問題だったし、夢を見ていた。 私はもう「自我」の中にいることは選ばない。 いる必要がないことも、十分わかった…

数秒間の中に感じる永遠(W レッスン182)

目を閉じるその一瞬の中に「安らぎ」を感じることが出来るようになってきたような・・・。「あぁ、これかぁ。うん、ここだよなぁ」って。一瞬だけど、その安らぎが、本物だという確信はゆるぎない感じがする。そして、やっぱり、コースの言葉には癒されるし…

一瞬前に見たことにも、関心をもたない(W レッスン181)

レッスン181は前回は抵抗がありすぎて、嫌で仕方なかった。 「ゆるし」を差し出すのがイヤな人がいたから、曖昧にしてなんとなくわかったふりしてスルーした。 けど、今回は、なんて素晴らしいレッスンなんだと感激している。 よかった・・・・・。 楽に…

グロさを全部、差し出していく(W レッスン180)

映画や漫画、世界が流しているニュースで出くわすグロさ、非常さ、最低さ。 それが自分の中のものだったとはとても受け入れられなかったけど、凄まじい「悪」を握りしめていた。 というか握りしめておくのを選択していた。 「分離」というストーリーのつじつ…

個人の目のままだから安らかさが見えなかった(W レッスン179)

個人単位や自分の家族単位という「特別性」で物事を考えることは「防衛」を繰り返しているだけになる。個人や身内単位という「特別性」を「守り続けている」ということは、延々と「恐れ」への対処をしていることになり、その「想念」の強さゆえに、その「想…

今こそ生命を生きる(W レッスン178)

怖くて後回しにしてきた「家族」への訂正。 思いがけず、自分の家族への愛着、執着に関して真剣に取り組むことになり、 「家族」という特別性から出てくる所有の愛着、執着を聖霊に差し出し続けた。 「家族」という「形」への愛着、執着も、ほかの幻想の世界…

分離時の”癇癪”だったことに本当に氣がつく(W レッスン177)

この世界での「差異」において求められる喜びや幸せは、「癇癪」、「悲鳴」のようなものだったのだと氣がつきました。 「分離」の決断への「罪悪」、つながりをシャットアウトした瞬間の「孤独」の「悲鳴」。 それらを喜びや幸せだと取り違えていたのです。 …

ぜんぶ、間違ってました(W レッスン176)

全部間違っていました。 これまで、私、全部間違っていました。 何もわかっていませんでした。 「愛」として見る以外のものは全部間違った解釈でした。 「愛」に限定はなく、「愛」は無条件で、何もかもが愛の表れで、それを分けることは不可能だったのです…

どんな反応だろうが関係ないのだった(W レッスン175)

敵意だろうが、懇願だろうが、忖度だろうが、関係なかった。 「思考」が織りなす世界の反応に「思考」は反応するけど。 「思考」の世界はリアルさに一切触れることができないので、 リアルさはただ光と愛で満ちて延長し続けている。 一度は「思考」に留まり…

今日、私たちはキリストの目で見ることを練習する(W レッスン174)

頭のおしゃべりは刺々しい。 刺々しいって言う自覚がなかったけど、冷静に観察すると、残酷だし、荒唐無稽だし、はちゃめちゃ、自分本位の巨大な妄想。 とても怖がりで防衛のための計算に余念がない。 トゲトゲ、自我自我、ジガジガ。 けど絶対頭のおしゃべ…

額は穏やかで、瞳は静か(W レッスン173)

レッスン155の文章は心地よいし好きな文章。 ただ、最初は自分がそうなれるとは到底思えなかった。 一歩退くということは、自我に先導させることをやめること。 この退くということが自我にとっては「犠牲」を伴うように感じていたけど、 この世界自体が…

すべてが愛で出来ている(W レッスン172)

看過すること、無関心であること、という意味を誤解していたことに改めて氣がつきました。 マザーテレサの「愛の反対は無関心」という言葉を鵜呑みにしていましたし、さらには、調べてみるとこれはマザーテレサの言葉ではなかったみたいです!! (情報やイ…

心は愛で出来ている(W レッスン171)

「どうせ私は愛される資格はない。だから、私も誰も愛さない」 こんな信念を胸に秘めてきた。今考えると、crazyだなぁ。ほんとにつくづく。 この信念を隠し持っていたことをはっきりと意識に上げることをしてこなかった。 どこかで、この信念がひっくり返る…

本当に大きな誤解だった・・・(W レッスン170)

私たちは、皆、確かさという愛そのもの、「神の子」であるということは、この世界で私たちは何もする必要がなかったし、この世界がフェイクだった、、、。 そしてこのことを、神から「犠牲」を被っている、と感じたり、「欠如」を感じたり、空白を「恐れ」と…

恩寵を映し出す眼差し(W レッスン169)

目が離せないほど澄み切った佇まいや、差し出された豊かな愛に出会うと、心の底から救われた気持ちになるし、拝みたいほどの感謝の気持ちで胸いっぱいになる。そして、自分もそうありたいと思う。だけど、これを願望にしてしまうと、「欠乏」からの願いとな…

聖霊と共に見る(W レッスン168)

心の使い方を根本から間違っていたのです。 私は、この地上で生きていると思っていて、この不確かで不安定で狂気に満ちた幻の部分を本物だと思い込み、この地上でなんとかしょうと日々四苦八苦し、そこに心を埋没させていたのです。 そしてその苦しみを認め…

私たちの生命は私たちが想像しているようなものではない(W レッスン167)

分離していないということを感じる。 この感覚を深く味わおう。 散らしている心を内側に取り戻す。 あちこちに飛ばしていた意識をひとつにする。 黙って座る。 私たちの生命は私たちが想像しているようなものではない。 当たり前の奥に、痛みの奥に、苛立ち…