苦しむことに価値を見ていた。 苦しまないことに罪悪を感じていた。 この感覚はなかなか抜けないものだった。 苦しまないことで仲間外れにされてしまうような感覚があった。 周りと同じように苦しまないと居場所がない。 でも、苦しめない。 周りとつながれ…
「開けっ放し」。 空気も水も、どこにでも、何の条件もなく入り込んでいく。 それと同じ。 当たり前すぎて見落としてきたけど、それ以上でもそれ以下でもない。 開かれ、くつろがれ、full、満ち満ちている。 毎瞬が、新しく。 開かれ続けている。 ・・ 「開…
一は、全部。 静かな確信。 すべてが喜び。 目のまえのすべてに神がある。 ありとあらゆるものごとは愛。 アメージング! ・・・ 神の教師の信義の度合いが、このカリキュラムにおける彼の進歩の目安である。 彼は今も、生活のいくつかの側面だけを選んで自…
責め、裁かれてなんかいない。 その夢を握りしめていただけ。 握りしめている力の側にぎゅっと入り込んでいただけ。 その握りしめられている手ではなく、そのスペースを提供しているスペースそのものが私たち。 「忍耐」とは、ぎゅっとしている力側がほどけ…
気づきは共有の財産。 だから、それは、惜しみなく与えられるもの。 気づきは延長される。 その管としていたいし、それだけが可能なもの。 これが寛大さだとマニュアルに述べられている。 決して失わないものに意識を戻す、気づきのために惜しみなく与える。…
強いとか弱いとか、優秀とか愚かとか、何にも生じていない。 その「創造」そのもの。 自分を作ろうと必死だったのは、この世界に限定した価値を信じていて、その価値に自分を閉じ込めようとしてきたから。 愚かであること、みじめであることがとにかく嫌で、…
無条件でした。 喜びに条件はないです。 喜びを抑えることにエネルギーを使って疲弊していました。 なんてことでしょう。 自然に逆らうのはやめます。 喜びは感謝と祝福の証です。 ・・・ Ⅴ. 喜び 喜びは、柔和さから必然的にもたらされるものである。 柔和…
何かに「恐れ」を感じたり、想像するときは、勘違いしているということで、そしてだからといって、自分でどうにかせずに、そのまま感覚を感じる。 そのうち、それは通り過ぎて、柔和さが表れる。 ・・・ 危害というのものは、神の教師たちとって不可能なもの…
問題があると見る。 困ったことがあると見る。 価値の判断をしょうとする。 それにより「私」という分離の世界に突入する。 「私」とは、ただの一部。 その孤立の特性を信じ込み、その分断の視点から見ると、世界に脅威を感じ、防衛の必要性を感じ、深刻さが…
私は個ではなかった。 そうだった。 昨日は、個人の世界に閉じこもっていた。 神の子という「一貫性」。 全人類のための選択。 個人を脇によければよけるほど、「正気」の目で見渡すことができる。 何が大切で、何が大切ではないか。 形は幻だから、大切もな…
自我の不安定さに翻弄され続ける。 もう嫌だ、ほとほと嫌だ。 つい、馴染み深い罪意識と連動している自我という脆さの方にしがみついてしまう。 その弱さや卑怯さに嫌気がさす。 ムキになる。 もう、自我でいるふりはやめよう。 悠然さ、壮大さをゆるそう。 …
これまでの人生を「自我」的にながめると、とてもじゃないけど、がっかりする。 あれもダメだった、これも失敗した、あれは選択ミスだった、これは運が悪かった・・・・・。 ジャッジして、覆って、隠したくなるし、挽回したくなる。 でも、正気を取り戻し、…
あらゆる機会を「無垢」と見る。 なにもかものルールや責めから解放し、解放される。 なにもかもが優しい。 「身口意」とは「教えて学ぶ状況」と同じことなんだなぁ。 素直なままいていい。 ホッとする。 ・・・ 三. 教えることにおけるレベルとは何か 神の…
愛は分かれていない。 愛は全体。 だから、自我は排除する必要はない。 ただ、自我は愛に解体されて溶けていく。 慌てて消す必要などない。 自我は表れて、揺るぎないおおらかな愛の中では簡単に溶ける。 その簡単さを受け入れたい。 この選択の中にいたい。…
「マニュアル」を読むと楽しい気分になる。 なんて力強い手引書なんだろう。 あんなに焦って生きてきた日々を、今、癒し、赦し、解放している。 この癒し、赦し、解放、はわかち合われる。 今心に焦りや苦しみがあるとしたら、見る必要のないところをただ見…
ワークブックの4巡目が先日終わり、ようやく、今度は「マニュアル」を、ここで記していきたいという気持ちになれた。 ワークブックの4巡目の終わりごろ(レッスン200あたりから)、まだわずかにだけど「真理」を疑っていた、その感覚が消えた。 そして…
外に掴むものはなく、内側に全てが含まれている。 うるわしさ、甘やかさ、充足感、喜び、親密さ、叡智。 全部あった。 これを、認めてわかち合う。 これが機能。 空という生命そのもの。 そこにゆだねられたままを意志し続ける。 私をゆだね続ける。 御心の…
愛の永遠のおおらかさに休らう。 愛で笑う。 染み入る静けさ。 畏怖と祝福。 ・・・ ワークブック レッスン365 聖霊よ、この聖なる瞬間をあなたに捧げます。 あなたが主導してください。 あなたの指示は私に平安をもたらすと確信しつつ、私はあなたの後に…
深い深い夢だった。 罪のなすりつけ合いの夢。 そして覚める気がなかった。 夢だと気づいてからも、夢を見ようとし続けた。 だけど夢は夢だった。 霞の中でむきになればなるほど、虚しさしか感じられないと身に染みた。 強く強くつぶっていた目をゆっくりあ…
気づきは共有の財産。 これは隠すものではない。 そもそも隠されてはいない。 隠されていないものを隠さないことが自然なこと。 自然に逆らわない、と決める。 全体性という愛そのものを、単純に「はい」と認める。 それが全体としての機能なんだ。 ・・・ …
ゆだねること。 自分を兄弟を「愛」だと認めること。 このあまりにも自然で当たり前で優しくて美しい方法を、もうやめる気はない。 それ以外の生き方はできない。 する必要と理由がない。 ありがとうございます。 ・・・ ワークブック レッスン361 聖霊よ…
自分が作った解釈の世界から離れると、平安の中だと気がつく。 それだけのことだった。 驚愕し、落乱し、そして笑ってしまう。 長い旅の終わり。 そしてこれからは「かくあれかし」と喜び、祝福しよう。 ・・・ ワークブック レッスン360 神聖な神の子で…
本当にすべてを誤解してきました。 「そうである必要はないと知りなさい」(テキスト第4章 Ⅳ.2:2) 自我の気まぐれで不安定な感覚を土台にしてきました。 心がさまよっているのを、ただ積極的に退けるだけでした。 そうすれば、いつでもゆるぎなさに包ま…
世の中の心配事が本当は「無」だったことを認めるのが難しい。 私と思っていたものも「無」だったよ。 私というものは「無」。 ガーーン、だけど、ほんのり嬉しい。 何かあると思っていただけ。 何もかも「無」だったよ。 そして、そのかわり、全て神に与え…
家族や子供、友達、共に真理を学ぶ兄弟を見るまなざしがどのようなものだったか? 心あたたまる静かなものであれば、彼らと私をちゃんと見ていることになる。 ザワザワと焦ったり怖かったり苦しいときは、間違った見方をしている。 そんな時は、静かになり、…
どんなものでも、限定的なもの、個別的なものは、「分離」から離れないための言い張り。 私は、「わかってほしい」と言う気持ちを強く持っていたけど、その言い張りこそが、「分離」を取り下げない「病」のようなもの。 「わかってほしい」という思いが「全…
平安をお預け状態にしていたのは、私。 許可だけだったのに、ゆるす理由に納得のいくものを寄せ集めるのに時間をかけていた。 ゆるしたくない。 ゆるされたくない。 ゆるされるはずがない。 自ら握りしめて離さない罪の数々。 平安でいること、幸せであるこ…
神の子としての自覚というのは、「愛」に安らいでいるということと、それは、この世界の「すべて」がそうであるという気づきの中にいること。 そして、そのことを認めるのに、何の努力も必要なかったんだなあ、と認めること。 「個人」「我流」の頑張りを、…
目的はひとつ。 「愛」を目撃することだったのだ。 それ以外に目的はない。 何もかもを「正気」の心で見たら、「愛」しか見えない。 「私」の目は、何も見ていなかった。 形の世界で不安を追い続け、あるとかないとかに意識を使い続けていた。 キリストに譲…
五感の目を通すと恐ろしく見えていたのに、愛で見たら、全てが満ち満ちていました。 どこまでもあたたかい光が続いていました。 これまで盲目でした。 形に囚われ、形ばかりに気を取られて、その不安定な、あるような無いような、そんな朧げな世界に一縷の望…