娘が小学生の頃のある日、私に言いました。
「お母さんが機嫌いい時は鼻歌歌ってる時だね。」
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その頃の私は全く心に余裕がなく、不機嫌なことが多かったのです。
そして、そんな状態なので、いつもならスルーしてしまうかもしれない何気ない言葉でした。
ですが、なぜか、その時はその言葉が心に沁み込みました。
今は、私の人生を引っくり返すために送ってくれた真我からのメッセージだと思っています。
「鼻歌歌っている時の私ってどんな時だろう?」と、立ち止まり、自分に問いかけました。
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その頃の私は、自分を信頼しておらず、欠乏感、無力感でいっぱいでした。
その欠乏を埋めるためにつねに外に意識がいっており、比較したり、裁いたり、と一喜一憂していました。
つねに、不安、イライラ、恐怖、虚無感、優越感、劣等感で、いっぱいでした。
世間に置いていかれないように、周りから認められるように、外の世界をどうにかすることに必死でした。
過去を悔み、未来に不安を感じながら生きていました。
外の世界の中で「失敗しないように」と、毎日を必死に”こなしている”ような日々。
ひたすら、自分とも世界とも戦っているような毎日でした。
"くつろぐ”
”楽しむ"
"マイペース”
"今ここ"
”愛しむ”
そんな、「平安」からは程遠い状態でした。
戦いの日々・・・。
あれしちゃいけない。
これはおかしい。
急がないとだめ。
きっと笑われる。
人より劣っている。
恥かいちゃいけない。
馬鹿にされないように。
怒られたくない。
嫌われたくない。
負けたくない。
失敗したくない。
ガッカリしたくない。
無視されたくない。
せめて標準に。
認められるように。
大切にされたい。
愛されたい。
全部、分離している前提の、「戦いのルール」でした。
緊張していて、
力んでいて、
焦っていて、
動揺して、
呼吸は浅くて、
過呼吸で、
罪悪感に苛まれて、
罪と罰でいっぱいの日々。
全く、ゆるんでいない。
自然ではない。
鼻歌どころではなかったんです・・・。
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"くつろぐ”
”楽しむ"
"マイペース"
"今ここ"
”愛しむ”
「比較」や「戦い」は全く必要ない。
あぁ、ここに戻りたい・・・。
・・・・・
そうして、「鼻歌の人生」を取り戻そうと思いました。
こうして、これまでの人生を振り返り、観察していきました。
分離の思考に氣づいていきました。
こうして、少しづつ、心の扉が開きはじめたのです。
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無防備に、感じるままに。
自然にもれる鼻歌。
鳥や風の音を味わう。
足を止め、道端の草花をゆっくり愛でる。
肌に当たる空気を楽しむ。
香りを感じる。
自分の手の動きを喜ぶ。
身体の温もりに委ねる。
何でもないものが「実相」への入り口。
すべては、一つらなりの「愛」。
すべては、無条件。
至福と平安の只中。
いつも、いつも、hummingと共にありました。
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娘を通して導かれたこの想いを忘れない。
これが、hummingの由来です。