2020.2.8
レッスン8
私の心は過去の考えにとらわれている。
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言うまでもなく、この概念が、あなたが過去だけを見ている理由である。
誰も、本当は何も観ていない。
人は自分の想念が外に投影されたものを見ているだけである。
心が過去にとらわれていることにより、時間についての思い違いが生じ、
そのせいで、あなたの見方が損なわれている。
あなたの心は、存在する唯一の時間である現在を把握することができない。
したがって、あなたの心は時間を理解できず、実は、何も理解できていない。
(1:1~6)
人が過去について抱くことのできる唯一の完全な考えは、
過去はここには存在しないということである。
したがって、そもそも過去について考えること自体が、
幻想について考えることである。
過去を思い描いたり、将来に期待したりすることが、
実際に何をもたらしているかをはっきり理解している者はごく少数である。
心がそうしているときは、
何も真に思考していないので、心は実際には空白になっている。
(2:1~4)
今日の演習の目的は、あなたの心がまったく真に考えていないときに、
その時点でそれを認識できるように、
心の訓練を始めることである。
真の想念が欠如した考えがあなたの心を捉えている間は、真理は妨げられている。
自分の心が真の考えで満たされていると信じるのをやめて、
それが単に空白だったと認識することが、
心眼への道を開く第一歩である。
(3:1~3)
今日の演習は、目を閉じて行う。
その理由は、実際、あなたは何も真にみることはできていないため、
目を閉じて練習するほうが、
自分がどんなに鮮明に考えを映像化していてもやはり真の意味では何も見ていないということが認識されやすいからである。
できる限りどんなこだわりももたずに、
いつも通り一分ほど、心の中を探索し、見つけた考えを単に意識する。
その考えの各々に含まれている中心人物やテーマでそれに名前をつけてから、
次に進む。
私は○○について考えているようだ。
(4:1~6)
それから、一つひとつの考えに具体的に名前をつける。
たとえば、次のように言う。
私は【人の名前】について考えているようだ。
【物体の名前】について考えているようだ。
【感情の名前】について考えているようだ。
それから、心の探索の時間を次のように言って締めくくる。
しかし、私の心は過去の考えにとらわれている。
(5:1~3)
苛立ちを感じない限り、これを一日四、五回行うとよい。
苦痛に思えるなら、三、四回で充分である。
しかし、苛立ちや、今日の主題概念が引き起こすほかの感情を、
心の探索の対象に含めると助けになるかもしれない。
(6:1~3)
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・私は子どもについて考えているようだ。
・私は身体について考えているようだ。
・私はやるせない感覚について考えているようだ。
・私はあの人について考えているようだ。
・私はお金について考えているようだ。
・私は怒りについて考えているようだ。
しかし、私の心は過去の考えにとらわれている。
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本当にどれもこれも「妄想」「幻想」「フィクション」なのですね。
本当は「空っぽ」だったのですね。
「空白」にゆだねてみます。
なんだか逆に心がしっとりと満たされます。