2020.2.10
レッスン10
私の考えには何の意味もない。
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この主題概念は、あなたが意識している考えや、
演習中に意識する考えのすべてにあてはまる。
この概念がそれらすべてにあてはまる理由は、
それらがあなたの真の想念ではないからである。
私たちは以前にもあなたの考えと真の想念との区別をしたし、
いずれまたこの区別をすることもある。
あなたにはまだ、比較のための基準がない。
それらが得られたときには、
あなたもかって自分の考えだろうと思っていたものに何の意味もなかったと、
確信することだろう。
(1:1~5)
この種の概念を用いるのは、これで二度目である。
その形がほんの少しだけ違っている。
今回の概念は、「これらの考え」ではなく、「私の考え」という言葉で始まっており、あなたの周囲のものとはっきりと関連づけられてはいない。
ここでは、
あなたが自分では考えていると思っているものに実在性が欠けていることが強調されている。
(2:1~4)
訂正プロセスのこの側面は、あなたが自覚している考えは無意味であり、
内側ではなく外側にあるという主題概念で始まり、
次に、それらの考えは現実ではなく過去のものであるという点が強調された。
今回は、これらの「考え」の存在は、あなたが真に思考していないことを意味する、
ということに重点が置かれる。
これは、以前に述べた、あなたの心は本当は空白であることを、
別の言い方で繰り返しているにすぎない。
この認識は、
自分が何かを見ていると思うときにそれが無であると認識することと同じである。
したがって、それが心眼のために必要な前提条件である。
(3:1~5)
この概念が、私が今信じているすべてのことから、私を解放してくれる。
この演習においても、これまでと同じく、選別も価値判断もせずに、あなたが意識できるすべての考えを心の中に探す。
どんな種類の分類もしないようにする。
実際、もし役に立つようなら、あなた個人にはほとんど意味のない奇妙な考えの寄せ集めが、行列をなして通り過ぎていくのを眺めていると想像してもよい。(4:4~6)
今日の主題概念は、あなたを悩ませるどんな考えにでも、
いつでも使えるのは明らかである。
(5:1)
この概念が、私が今信じているすべてのことから、私を解放してくれる。
(5:5)
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・離れて暮らす子供達への心配についての私の考えには何の意味もない。
・事件で巻き込まれた人達についての私の考えには何の意味もない。
・この先の不安についての私の考えには何の意味もない。
・死ぬことについての私の考えには何の意味もない。
・あの人についての私の考えには何の意味もない。
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わいてくる、受信する、これらの”思考”には何の意味もない。
私の考えのネガティブなものもポジティブなものも、
全部に意味がないのです。
良い、悪いも、損も、得も、正しい、間違いも、すごいも、すごくないも。
全部、過去からの「解釈」。
考えることを止める必要はなく、
ただただ眺めていけばいいのです。
あなた個人にはほとんど意味のない奇妙な考えの寄せ集めが、
行列をなして通り過ぎていくのを眺めていると想像してもよい。(4:6)
「列をなして考えが通り過ぎていく」という表現がコミカルです。
そして、なんとも穏やかでゆるやかでたおやかな感じです。
あなたの心は本当は空白であること。
清々しい。
「自由」さに安堵します。
この教えは安らかさをもたらします。
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「空白」って、現代の私たちにとってはかなり苦手です。
この2年、
この「コース」を携えて、なるべく「空白」に抵抗しない選択をしてきました。
慣れない間はずっと焦ったり、
衝動的に行動に移したくなったり、
あまりにも緩やかな日常に「罪悪感」が後から後から湧き上がっていきました。
ですが、
このワークはとてつもなくパワフルで素晴らしいものでした。
「空白」の中はゆるぎない愛そのものでした。
「空白」との一体感、濃厚な「あたたかさ」。
この実際の体験そのものが「平安」なのでした。
ある時期から「空白」の感じ方に変化がおこりました。
本当にありがたいと感じております。