【奇跡講座】 気づきメモ ~Humming~

「欠乏」の夢から目覚めると、「愛」そのものがわたしたちでした。

「好きか嫌いか」もあやしい・・・(W レッスン18)

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2020.2.18

 

レッスン18

 

私の見方がもたらす結果を体験するのは、私ひとりではない。

 

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今日の主題概念は、あなたが見ているものを生起させている考えは、

決して中庸(ニュートラル)なものでも、

些細なものでもないということを学ぶための、もう一つのステップである。

それはまた、心と心はつながっているという概念を強調するものでもあり、

これは先に進むにつれて重要性を増していく。

(1:1~2)

 

今日の概念は、あなたが何を見ているかよりも、

どのようにそれを見ているかに関するものである。

したがって、今日の演習は、あなたの知覚のこの側面に重点を置く。

(2:1.2)

 

周囲を見回して、できるだけ無作為に今日の概念を適用する対象を選び出し、

その各々に視線をとめたままで次のように言う。

私が○○を見ている見方がもたらす結果と体験するのは、私ひとりではない。

(3:1.2)

 

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・私がニュースを見ている見方がもたらす結果を体験するのは、私ひとりではない。

・私があの人を見ている見方をもたらす結果を体験するのは、私ひとりではない。

・私が子供を見ている見方をもたらす結果を体験するのは、私ひとりではない。

・私が父を見ている見方をもたらす結果を体験するのは、私ひとりではない。

・私が母を見ている見方をもたらす結果を体験するのは、私ひとりではない。

 

・・・・・

何を見ているかよりも、

どのようにそれを見ているか

 

どのように見ているか?という見方を丁寧に観察。

 

・・・

 

常に「防衛」「恐怖」「比較」「批判」という見方をしています。

 

正しいか間違いか。

 

損か得か。

 

良いか悪いか。

 

多いか少ないか。

 

賢いか馬鹿か。

 

好きか嫌いか。

 

・・・・・

 

昨日のレッスンを思い出すと、

 

常に「自分」に対して、

 

こんな風にみている、ということになります。

 

好きか嫌いかは、

 

一見、本能的で正直な感じがしますが、

 

これも「防衛」「恐怖」「比較」「批判」の見方の変形でしかないことに氣がつきました。

 

なぜなら、

 

「好きか嫌いか」という見方も苦しさが伴うからです。

 

これまで、

 

私は何も見てこなかったみたいです。

 

真っ黒の世界だったのですね。