2020.3.5
レッスン34
私はこれを見るかわりに、平安を見ることもできる。
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今日の主題概念から、別の見方をするなら生じてくる状態についての説明を始める。
心の平安とは、明らかに内側的な事柄である。
それは必ずあなた自身の考えから始まり、そこから外へと広がっていくものである。
世界についての平安な知覚は、あなたの心の平安から生じるのである。
(1:1~4)
どの場合も、目を閉じて行う。
今日の概念を適用すべき対象はあなたの内なる世界である。
(2:3.4)
心の中を探して、怖れの想念、不安を刺激する状況、「腹が立つ」人物や出来事、そのほか何でも、自分が愛のない考えを抱いている事柄を見つけ出す。
そうしたすべてを気軽に意識するが、それらが心に浮かんでくるのを見つめながら、ゆっくりと今日の概念を繰り返す。一つを去らせてから、次のものに移るようにする。
(2:2.3)
どんな形ででもあなたの心の平安が脅かされていると感じたときにはいつでも主題概念を適用する。
その目的は、一日を通して誘惑から自分自身を守ることにある。
もしも特定の形の誘惑が生じるのを自覚したなら、次のような形で演習を行うとよい。
私は今この状況の中に見ているもののかわりに、平安を見ることもできる。
(5:1~4)
あなたの心の平安を侵害するものが、憂鬱感、不安、心配など、もっと漠然とした形の否定的な感情であるならば、今日の概念の原形を使う。
もし、何らかの状況について自分の心を変えるには今日の概念を一回適用したくらいでは足りないと感じたなら、何分間かかけて気持ちが安らぐまで主題概念を繰り返すようにする。具体的には次のように言うと役に立つだろう。
私は、この憂鬱感、不安、心配などの気持ち【または、この状況、この人物、この事柄についての私の考え】を、平安と取り替えることができる。
私は、この憂鬱感、不安、心配などの気持ち、(または、この状況、この人物、この事柄についての私の考え)を、平安と取り替えることができる。
(6:1~4)
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大きな勘違いは、
どうにかして「平安」をカタチの上に探そうとすることでした。
「外側」のにこやかで煌びやかで楽し気なものに変換できないのなら、
それは「平安」とは呼べないと思い込み、
どうしても「外側」を重視してしまう見方が抜けなかったのです。
本当にそういうことではないですね。
平安は「心」の状態のことですね。
そしてそれは作られるものではなく、
元々実在していて、
私たちはそれを思い出すのですね。
だから「平安を見たいです」という意欲だけが求められている。
その「意欲」に導かれて、
光を思い出していくのですね。