2020.3.7
レッスン36
私の聖性は、私が見ているものすべてを包み込んでいる。
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今日の主題概念は、
昨日の概念を、知覚する主体から知覚される対象へと広げていく。
あなたが神聖であるのは、あなたの心が神の心の一部だからである。
そして、あなたは神聖なのだから、あなたの視覚も神聖なはずである。
「無罪」とは罪が無いことである。
あなたが少しだけ無罪であるということはありえない。
あなたはまったく無罪であるか、そうでないかのどちらかでしかない。
あなたの心が神の心の一部であるならば、あなたは罪が無いはずである。
そうでなければ、神の心の一部が罪深いものということになってしまう。
あなたの真の視覚は神の聖性と関連があるのであり、
あなたの自我にも、あなたの肉体にも関連はない。
(1:1~8)
今日は、三~五分ほどの練習を四回行う。
この練習は一日のうちに均等に割り振るようにし、
さらに、あなたを保護しているものを保護するために、
短い練習を、一日を通して頻繁に行う。
(2:1~2)
もちろん、主題概念を適用するときはいつも、できるだけ急がず力まず、
ゆっくりと行うようにする。
(4:2)
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・私の聖性は、このパソコンを包み込んでいる。
・私の聖性は、あの人を包み込んでいる。
・私の聖性は、TVを包み込んでいる。
・私の聖性は、この身体を包み込んでいる。
・私の聖性は、あの空を包み込んでいる。
あなたを保護しているものを保護するため。
ということは、
・パソコンの聖性は、私を包み込んでいる。
・あの人の聖性は、私を包み込んでいる。
・TVの聖性は、私を包み込んでいる。
・この身体は、私を包み込んでいる。
・あの空は、私を包み込んでいる。
というふうになるのですね。
あなたが少しだけ無罪であるということはありえない。
あなたはまったく無罪であるか、そうでないかのどちらかでしかない。
あなたの心が神の心の一部であるならば、あなたは罪が無いはずである。
包み込まれている。
そして、包み込んでいる。
これが真の正体。
まだ、「まさか」と躊躇いつつ、
包み包まれているあたたかさに心が緩みます。