2020.3.20
レッスン49
神の声は、一日中、私に語りかける。
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日常生活に何の支障もきたさず、
一日を通して神の声を聞くことは充分に可能である。
あなたの心の中の真理がとどまっている部分は、
あなたが自覚していようといまいと、常に神との親交を保っている。
この世界の中で機能し、
この世界の法則に従っているのは、あなたの心のそれ以外の部分である。
常に散漫で秩序がなく、非常に不確かなのは、この部分である。
(1:1~3)
神の声を聞いている部分は穏やかで、常に安らいでおり、
完全に確かである。
存在しているのは本当はこの部分のみである。
その他の部分は荒唐無稽な幻想であり、
狂って錯乱した、何の実在性もないものである。
今日は、それに耳を貸さないように努力してみなさい。
心の中の静けさと平安が永遠に君臨している部分と同一化しようとしてみなさい。
あなたに愛を込めて呼びかける神の声を聞こうとしてみなさい。
それは、創造主がわが子を忘れていないということを思い出させようとしている。
(2:1~6)
今日は、五分間の練習が少なくとも四回必要であり、
できればさらに回数を増やす。
神とあなたの真の自己のことをあなたに思い出させようとしている神の声を、
私たちは実際に聞こうと努力することになる。
そうすることで自分たちの意志を神の意志に合一させているのだと知りつつ、
私たちはこの最も幸せで神聖な考えに取り組んでいく。
神はあなたが神の声を聞くことを望んでいる。
あなたが聞くようにと、神はそれをあなたに与えた。
(3:1~5)
深い静寂の中で耳を傾けよう。
じっと静まり、心を聞きなさい。
あなたの真の想念を覆い隠し、
神とあなたの永遠の絆を曖昧にしてしまう耳障りな叫びや病んだ想像を、
すべて通り越して進みなさい。
この狂った世界の騒々しい考えや情景や音声の向こうであなたが待っている平安の中へと、深く沈んでいきなさい。
あなたはこの世界に生きているのではない。
私たちはあなたの真の故郷に戻ろうとしている。
あなたが真に歓迎される場所に行こうとしている。
神に到達しょうとしている。
(4:1~8)
今日の概念を頻繁に繰り返すことを忘れないようにしなさい。
必要であれば、目を開けたままでもよいが、できれば目を閉じて行うとよい。
そして、可能なときはいつでも静かに座り、
世界に対して目を閉じ、
自分は神の声が語りかけてくれるように招いているのだという実感をもって、
今日の概念を繰り返す。
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コースに出会うまでは、
この世界での居場所を半狂乱になり必死に探していました。
誰かとの関係性の中にも居場所を探していました。
世界に存在を知らしめなければ生き残れないと恐れていました。
そのためにアイデンティティーを積み上げていかなきゃと思い込んでいました。
そのために役割に作り上げ、固執していていました。
良い子ちゃんであり完璧な親であり素晴らしい友人でなければならないって。
そうしなければ罰されるのでは?と自分を恐れでグルグル巻きにしていました。
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「コース」では、
神は一度も怒っていないと述べられています。
だけど、なかなか自分の信念を手放せませんでした。
何度目かの「コース」のワークにて、
「意欲」ってなんなんだろう?
「心を開く」どういうこと?
そしたら、やはりシンプルに、
これまでの自我の主張を全部全部、出てくるまで、真摯に優しく見つめてあげて、
安心して静まるのを見届けてあげるだけだなぁ~と。
見届けると消えていきます。
そうして心が「空っぽ」になることが、
「心を開く」という状態で、
真実に「意欲」を持つという姿勢なのでした。
今日のレッスンは嬉しくて幸せで美しい文章。
もうずっと「神の声」の中にいたい、
ずっとそうして過ごしたいって思いました。
それを自分に認めてあげると、
焦燥感が消えさり、
あんなにも、
去らせるのは難しいと感じていた”自我が主張していた役割”は静かに消えていきました。