2020.2.13
レッスン13
意味のない世界は恐れを生み出す。
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喚起される感情がもっと具体的になっている。
実際には意味のない世界などというものはありえない。
意味のないものは存在していない。
だからといって、意味のないものであれば、
あなたがそれを自分が知覚していると思うことがない、ということにはならない。
それどころか、あなたは、意味のないものを確かに知覚していると、
特に思いやすいのである。
(1:1~5)
無意味さの認識は、分離している者たちすべてに、強烈な不安を引き起こす。
それはまるで、無意味さが差し出す空白に、
神と自我のどちらの意味が書き込まれることになるかについて、
両者が「対決」しているかのような状況を呈している。
自我は、
その空白が自分の無能さと非実在性を実証するために使われるかもしれないと恐れて、大急ぎで自らの考えをそこに確立しょうと躍起になる。
そして自我が正しいのは、自らの無能さと非実在性という点においてのみである。
(2:1~4)
したがって、きわめて重要なことは、あなたが意味のないものを認識して、
それを恐れずに受け入れられるようになることである。
もし恐れているなら、あなたは必ず、世界に備わっていない属性を世界に授け、
本来は存在していない姿や形の数々でそこをいっぱいにするだろう。
自我にとっては、幻想が安全の仕組みなので、
自分自身を自我と同一視しているあなたにとっても、
それ(幻想)が安全の仕組みとならざるをえない。
(3:1~3)
私は意味のない世界を見ている。
(4:4)
意味のない世界が怖れを生み出す。
それは、私は自分が神と競争していると考えるからである。
(4:7)
この締めくくりの言葉には、何らかの形で抵抗を感じずにはいられないかもしれない。
どのような形でそうした抵抗が現れるにしても、
あなたは実際に「敵」からの「復讐」を理由に、
こうした考えを恐れているのだということを、思い出しなさい。
この時点では、あなたがこの言葉を信じることはないだろうし、
おそらく、あなたはこれをとんでもないこととして退けてしまうだろう。
けれども、それが引き起こすかもしれない怖れについては、
それが顕著に現れても、目立たなくても、
どれにでもよく注意して、意識しておかなければならない。
(5:1~4)
これは、明白な原因と結果の関係について述べる最初の試みであるが、
この種の因果律を認識することにおいては、あなたはまだ非常に未熟である。
この締めくくりの言葉にはこだわらないようにし、
練習時間以外には、それについて考えることさえしなくてよい。
今のところはそれで充分である。
(6:1~3)
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「空白」は怖かったです。
少しずつ、「空白」をゆるしていっています。
これまでがむしゃらに「空白」を埋めてきたのですが、
2年前くらいから動けなくなりました。
それはそれで怖かったですが、
動けなくなり「空白」を埋めることができない分、
こうしてレッスン1からスタートするように導かれました。
あらためて「自我」の成り立ちに真っ直ぐ関わっていくと、
もう本当に悪あがきはやめよう・・・って思います。
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そもそも「意味」なんて必要なかったのですね。
私たちそのものがもうすでに「意味」なのだから。
そのことを申し訳なく感じたり、
分不相応に感じたりして、
時間稼ぎをして「祝福」を否定し続けるなんて、
もうやめたいです。
最初から「愛」という「意味」がもたらされているのに、
わざわざそれを塗りつぶす必要はどこにもありませんでした。
それでも、今は、
元から存在していた美しい絵を真っ黒な絵の具で塗りつぶしてしまった状態に対して、
「祈り」という、ふき取る作業をしています。
ひとりぼっちではなく、
聖霊と共に、
「祈り」の中です。