【奇跡のコース】Humming

ACIM lesson&diary

レッスン56 自我同士の付き合いはほどほどでいい

ワークブック レッスン56

 

1・(26)私の攻撃的な考えが、決して傷つくことのない私の強さを攻撃している。

2・(27)何にもまして、私は真にみたい。

3・(28)何にもまして、私はものごとをこれまでとは違った見方で見たい。

4・(29)私が見ているあらゆるものの中に、神がいる。

5・(30)私が見ているあらゆるものの中に神がいる理由は、神が私の心の中にいるからである。

 

私の見ている世界は、私が作り出した自分像の恐ろしい性質を証言している。私が誰であるかを思い出したければ、この自分像を手放すことが必須である。

それが真理と置き換えられるとき、心眼は必ず私に与えられるだろう。そしてこの心眼を通して、私は世界と私自身を慈しみと愛を抱いて眺めるだろう。(2:3~6)

私のすべての狂った願望の向こうに、父の意志とひとつになった私の意志がある。

神は今も、あらゆるところで、一切のものの中に、常しえに存在する。

そして、神の一部である私たちは、やがてすべての外観を超えたところを見て、それらすべてを超越した真理を認識するだろう。(4:4~6)

そして、神の想念の一部である私は、その想念のほかの部分とひとつであり、神ともひとつである。(5:5)

 

・・・・・

 

「神」という言葉があまりにも本質から離れてしまい、外にある想像しえない大きくて恐ろしいもののように捉えてしまっている。

「奇跡講座」の文面の内容はもうそこではいってこなくなるかもしれない。

 

「神」=「真心」「純粋な意識」「BE」と表現するとわかりやすいかもしれない。

 

・・・・・

 

「思い通りにならない思い」をよくよく観察すると、

 

全部が分離の意識が土台になっている。

 

自我の「思い」は、

 

分離という信念。

 

自我の強さで「思い通り」にできたとしても、

 

ゆくゆく結果は不満足に終わる。

 

一瞬は満足するけど、

 

ずっとその満足をキープするためにぐるぐると四方八方に思考を飛び散らせなければならない。

 

しんどい生き方だったなぁと思う。

 

「思い」を思い通りにする前に、

 

その「思い」という目標はなんなのか?と見定める。

 

大抵、

 

分離の思考である防衛。

 

形ある世界の中での形のキープのための「思い」。

 

生活していけなくなるんじゃないか?

 

人から認められなくなるんじゃないか?

 

お金がなくなるんじゃないか?

 

死んじゃうんじゃないか?

負けるんじゃないか?

 

その「思い」は、分離思考という防衛の思い。

 

だけど、「自我」は「形が大切」だと言い張る・・・。

 

本当に「形が大切」かどうか?は、

 

体験して感じ尽すしかない。

 

自分が納得して、

 

自我の見方を止める氣になるまでは・・・。

 

・・・・・

 

私の心の中、分離と攻撃という狂った考えの背後には、すべてが永遠にひとつであるという智識が存在する。(5:2)

 

・・・・・

 

自分の「思い」はあてにならない。

 

だけど「思い」の奥にある「真心」と共にいることができる。

 

自我は敗北と虚無感で攻撃しようとするけど、

 

もうその手には乗りたくない。

 

「真心」にゆだねる。

 

今日も勤しみます。