【奇跡のコース】Humming

ACIM lesson&diary

レッスン57 ニヒリストに陥りそうになったら

ワークブック レッスン 57

 

復習

 

1・(31)私は自分が見ている世界の被害者ではない。

2・(32)私が、自分の見ている世界を作り上げた。

3・(33)この世界について別の見方がある。

4・(34)私はこのかわりに平安を見ることもできる。

5・(35)私の心は神の心の一部である。私はとても神聖だ。

 

私は自分の狂った願望を手放し、遂に陽光の降り注ぐ中を歩み始める。(1:9)

私はすべてを逆さまに見ていて、私の考えは真理とは正反対になっている。(3:3)

私は世界をあるがままに眺めて、それを、神の子が自らの自由を見つけ出す場所として見たい。(3:6)

世界の平安を兄弟たちと分かち合うとき、私はこの平安が私自身の奥深くから生じていることを理解し始める。(5:2)

 

・・・・・

 

この世界には意味がない。

 

それを自我で解釈すると、

 

とんでもない虚無感に襲われてしまう。

 

この世界が色あせて、

 

感動が去ってしまったように感じられる。

 

だけど、それこそが自我の役割でもある。

 

自我はあくまで自我目線の解釈で「奇跡講座」を受け取ってしまう。

 

だから、ここは本当に余裕をもって注意深く見ていきたい。

 

自我のフィールドは「分離」「個別」「特別性」だから、

 

どうしても「個人」の喜びを喜びだと思い込んでいる。

 

なので「この世界が意味がない」となると、

 

個人の喜びは奪われると思えるし、虚無感が起こる。

 

これは大きな誤解。

 

個人の喜びは「狂気」だと気づくまでは、

 

奪われたことにガッカリする。

 

私も激しくその感覚を感じていたから、

 

とにかく真っ新な気持ちになることを心掛けてワークに取り組んだ。

 

・・・・・

 一瞬でも、

 

「特別性」の「狂気」が自覚できてきて、

 

だからこそ「自我」で選択することはもうできないなぁ、しんどいなぁってなって、

 

自然に「聖霊」に明け渡しはじめ、

 

全体性の中に身を任せたら、

 

これまで喜びだと思い込んでいたモノは勘違いだったとわかり始める。

 

そしてくらべものにならないほどの平安のフィーリングに氣づき始める。

 

 頑張って「自我」を固持する必要はなかった・・・って。

 

幼子のように、

 

この世界にゆだね、甘え、喜びの中に目が開かれていく。