【奇跡のコース】Humming

ACIM lesson&diary

レッスン64 忘れたら思い出す機会にする

ワークブック レッスン64

 

私が自分の機能(はたらき)を忘れずにいられますように。

 

聖霊にとって世界とは、あなたが自分の罪だと思っているものについて自分を赦すことを学ぶ場所である。このように知覚されれば、肉体の目には誘惑と映っていたものが、そこに救済を見る霊的な認識をもたらすものとなる。(2:3.4)

ここ数日間のレッスンを見直してみると、世界におけるあなたの機能(はたらき)は世の光となることであり、それは神からあなたに与えられた機能だということがわかる。自我の傲慢さだけがこのことに疑問を抱かせ、自我の怖れだけが神ご自身から与えられた任務に自分はふさわしくないと思わせる。(3:1.2)
形の複雑さが内容の複雑さを意味するわけではない。地上における決断で、この単純な一つの選択をその内容としていないものはない。これが、聖霊の見ている唯一の選択である。したがって、これだけが存在する唯一の選択である。(5:7~10)

 

私が自分の機能を忘れずにいられますように。

私が自分で作り出した機能を、神から与えられた機能の代替としませんように。

私が赦し、幸せでいられますように。 (6:2~4)

 

・・・・・

 

奇跡講座で述べられている「誘惑」とは、

 

分離の眼で世界を見て、差異を裁いて、過去や未来を妄想して、自分や人を上げたり下げたりして、自分も人も世界もあらゆるすべてを罪の中に閉じ込めておこうとする、分離思考のこと。

 

自我という思考が自分だと思い込むこと。

 

架空の世界を真(ま)に受けること。

 

その「誘惑」からほんの少しでいいので距離を置き、

 

静かにして、

 

内観して、

 

目を閉じて、

 

祈る。

 

私が自分の機能を忘れずにいられますように。

私が自分で作り出した機能を、神から与えられた機能の代替としませんように。

私が赦し、幸せでいられますように。

 

・・・・・

 

あんなに悔やんでいた「過去」。

 

苦しかったり、悲しかったり、憎かったり、反省したり、恥ずかしかった「過去」。

 

「奪われてしまった貴重な時間を返して!!!」と執拗に心は泣き叫んでいたけど、

 

「過去」を聖霊に差し出し続け、

 

ワーク3巡目にして、

 

「ほんとに、罪の夢(幻想の世界・架空)を見ていただけだったんだなぁ」と赦しが訪れた。

 

「奪われた時間なんてなかったんだなぁ」

「今しかないなぁ」

「今、聖霊と共にいて満ちているなぁ」

 

のほほん、としてしまった。

 

のほほん、、、、、なのだ。

 

すごいトキメキとか、

すごい落胆とか、

 

そんなドラマチックなものではなく、

 

のほほんちゃんなのだ。