真理が訪れるとき、その翼の中に抱いてくるのは、完璧な恒常性という贈り物と、苦痛に直面してもひるまずそれを超えたところを確信をもってじっと見続ける愛である。
ここにこそ、癒しの贈り物がある。
真理は防衛を必要とせず、したがって、攻撃は不可能だからである。
(レッスン107 5:1.2)
私たちは、自分がもっていないものを求めるのではない。
自分のものを、自分のものと認識できるように、自分に属するものを求めているだけである。(7:1.2)
まずはこれを行うときあなたとともに行く聖なる存在に、一緒に歩む道すがらその存在をあなたが自覚していられるようにしてほしい、と頼むことから始めよう。
あなたは、骨と血と肉でできているのではなく、その存在に生命の贈り物を与えた想念とまったく同じ想念によって創造された。
その存在はあなたの兄弟であり、父が知るあなたとまったく同じものなので、あなた方は二人とも同じものである。
ともに歩んでくれるようにとあなたが頼んでいるその存在とは、あなたの真の自己なのだから、あなたのいるところにその自己がいないということがあるだろうか。
(8:1~4)
真理は、私の心の中のすべての誤りを正す。
そして私は、私の自己の中で休らう。
(9:5)
私は今日、すべてを赦すつもりだ。
それにより、自分の中の真理を受け入れる方法を学び、自分の無罪性を認識できるようになりたい。
(レッスン119 2:2)
・・・・・
すべてを赦します。
それ以外のことを求めていませんでした。
過去の記憶を辿って、
被害者役と加害者役をリピートして罪の中に居座っている自我。
その自我に光を当てて、「もうそこに居続けなくていいよ、一緒に出よう」と。
喜んで、すんなりと出てきました。
大きな誤解をしていただけだったんだ、と納得したのです。
小さくて卑小で、自分を恥じていて罪深いと思っていました。
誰も守ってくれないし、誰もあてにならないと思っていました。
ロクな人間はいないと思っていたし、この世界の白々しさを恨んでいました。
そして、それなのに、この世界に期待をしていて、どこかに楽園の答えがあるはずだと思い込んでいました。
ガッカリしてきた気持ちは正直なものだったけど、
それは当然のことであり、ガッカリするところに自分と人を置いていたからなのです。
見当違いだったのです。
誰一人、この世界の住人ではなかったのだから。
この世界では、みな、異邦人。
みな、自我の世界では、彷徨える子羊。
誰も責めることはできないし、自分も責める必要もないのです。
皆、迷子だったのです。
その幻を、ただ「幻」だと認めることが赦し。
「幻」が取り去られると、清々しい喜びだけがあふれていました。
愛だけがあったのでした。
・・・・・
復習
レッスン119
(107)真理は、私の心の中のすべての誤りと訂正する。
(108)与えることと受け取ることは、真理においてひとつである。