これまでの人生で、たくさんの人と出会いがあり、そしてお別れがありました。
「奇跡のコース」のlessonが深まることで「心」が静まり、
これまでの出会いと別れの”あり方”が理解できていきました。
「心」に何が起きていたのか?
混乱状態で生きていた間の関係性のカタチは、
被害者VS加害者
支配者VS奴隷
インフルエンサーVSフォロアー
これまでは、人とのつながりで、パワーバランスが生じるのは仕方ないと思っていました。
本当は社交的でもなく華やかなことにもあまり縁がないのですが、
「ひとりっきり」になる勇気もなかったので、
必死に「カタチ」にすがりつき、頑張っていました。
最初は安心したり、楽しんだり、わかち合ったり・・・、
だけど、そのうち、
その関係が壊れない様に自分を犠牲にしたり、誤魔化したり、無理したり・・。
コントロールしたりマウント取ったり・・・。
せっかく作った「カタチ」が壊れない様に、
お互い「心」を歪曲させ無理を生じさせていったのです。
必死、深刻、戦い、だったのです。
最初は純粋に「喜び」で出会ったはずなのに、
いつの間にか戦争状態に・・・。
そして「カタチ」をキープするということは、
過去を繰り返しているということ。
築き上げた「カタチ」に固執すればするほど、
関係性が壊れない様に頑張れば頑張るほど、
漫然とした葛藤や苦しみから逃れることはできない。
新鮮さや敬意や感謝が失われていく。
これが「自我」という「カタチ」の世界での出会いと別れだったのです。
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「奇跡のコース」では「心」はひとつだと述べられています。
「対等性」「みんな同じ」というシンプルでフラットなもの。
血縁やパワーや立場に関わらない「中庸」「ニュートラル」「光」という関係。
※例えば、親子という密接な関係は本当に凄まじいばかりの囚われの「カタチ」なのですね。子供の心の変化を阻止しようとしたり、親のあり方がゆるせなかったりと、「カタチ」に囚われており、このことに氣づくまでは、ずっと問題、葛藤、コントロールの中にいます、、、。
「心」が静まり始めることで、
「カタチ」とは、動き続け、変化し続けることが「自然」なことだと思い出し、
そして、私たちの関係性は、「カタチ」という切り離されたものではなく、
「心」というひとつで離れてなどいない!ものだったのだと、
その純粋な氣づきに包まれはじめますと、
自分も相手も「自由」だったことを「祝福」できていくように・・・。
関係性のカタチの変化に「祝福」が起こっていくのです。
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また「奇跡のコース」では、
この世界は2つのもので出来ている、と述べられております。
ひとつは「愛」。
※ギブアンドテイクの自我的な「特別性を固持する愛」ではなく、
「すべて」という意味の「愛」です。
もうひとつは「愛を求める泣き叫び」。
このたった2種類。
「愛」であれば、すべてが「同じ」「対等」「ひとつ」「普遍」「確かさ」。
ここに留まっていることに氣がつけば、
最初からすべての葛藤も苦しみも問題もなかったことを思い出すのです。
・・・
これまで私が築き上げたと思い込んでいた関係性は、
「愛を求める泣き叫び」による繋がりでした。
それに氣づいた時はかなりショックでした・・・。
「私は孤独だ」
「誰か愛してほしい」
「私を認めて」
「無価値な私を救ってほしい」
「わかってほしい」
「確かさがほしい」
「ゆるしてほしい」
わたしに「愛」はない、
私は罪深く「愛」はふさわしくない、
だから誰かの「愛」で補充してほしい。
「誰かによって"確かさ"がほしい」
この心の叫びが、これまで関係性を作ってきていたのでした。
そのことに氣づき、
しばらくは心身共に動けませんでした。(鬱状態)
衝撃や動揺や絶望の時期が続きました。
それでも「聖霊」に「心」の"全て"を打ち明けて過ごしていくことにより、
どんどんと「心」が晴れていったのでした。
心に隠し持っていた闇の部分、恐れや渇望が明らかになり、
それを、ただただ「聖霊」に渡していきます。
「正気に戻るとはこういうことだったんだ。」
「催眠から目覚めるって、関係性からの目覚めなんだ。」
「もう誰とも取り引きやかけ引きしなくていいんだ。」
「すべてが”同じ”とはこういうことだったんだ。」
「最初から愛そのものとして、つながっていたんだ。」
どっふりと浸かっていた関係性の催眠状態、その信念から、
我に返る、正気を取り戻す・・・。
自我の信念が去っていくと、
あたたかくて安らかなフィーリングが沸き起こります。
「純粋な氣づき」に包まれ満たされていきます。
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それでも、
肉体の世界にいますので、
すぐに「カタチ」に巻き込まれそうになります。
その時はいつでも、静かな時間を取り、
このあたたかくて安らかな純粋な氣づきにつつまれることに心を開きます。(我に返る)
大切なのは「心」においてのdailyレッスンへの意欲。
意識の選択。
「心」にかえるひととき。
そうして、この世界が「奇跡」で引っくり返っていきます。
今、
誰とも「取り引き」という関係でつながらなくていいという安堵感、
真の関係性を知り、
「かけ引き」「コントロール」から「自由」になっていく開放感に、
これまで味わったことがないほどの嬉しさが込み上げます。
また、これまでの「自我」でのつながり、
終わってしまった関係も、
本当は離れてなどなくて、
全てがひとつの光だったのだと!
誰からも去っていないし、
誰も去っていない。
すべてに感謝が湧いてきます。
これまでの出会いは祝福そのものです。