2020.2.5
レッスン5
私は自分で考えているような理由で、動揺しているのではない。
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この主題概念は、前回のものと同じように、
自分に苦痛を引き起こしていると思われる人や状況や出来事のどれにでも使用できる。あなたが自分の動揺の原因だと信じているものに対して、
自分の気持ちを正確に表すと思える言葉を使って、
具体的にこの概念を適用しなさい。
その動揺は、怖れ、心配、憂鬱感、不安、怒り、憎しみ、嫉妬、
そのほかいくつもの形であるように見え、
そのすべてが異なったものとして知覚されるだろう。
これは真実ではない。
しかし、形は問題ではないということをあなたが学ぶまでは、
それぞれの形が、今日のふさわしい対象になる。
それぞれに同じ概念を適用することが、
それらすべてが同じものだと最後には認識できるようになるための第一歩である。
(1:1~6)
今日の概念を、
さまざまな形の動揺の原因として具体的に知覚されたものに使用するときには、
あなたが見ている動揺の形の名称と、
その原因だと思える事柄の名称を用いるようにする。
私は自分で考えているような理由で、○○に腹を立てているのではない。
私は自分で考えているような理由で、○○を恐れているのではない。
(2:1~4)
ただし、以上のやり方を、通常の練習時間のかわりとしてしまってはならない。
練習時間には、まず最初に、動揺の「源」だとあなたが信じるものと、
その結果生じると思える動揺の形を、心の中に探していく。
(3:1)
この演習では、特定の対象だけを重視せずにどれも無差別に扱うことが、
これまでよりずっと難しく思えるかもしれない。
演習を始める前には、次のように言うと役に立つ。
小さな動揺というものはない。動揺はみな、等しく、私の心の平安を乱すものである。(4:1~4)
その後、心の中を調べて、悩みの大小にかかわらず、
自分を悩ませているものを何でも探し出す。
(5:1)
また、動揺の源だと知覚されるものの中には、
とりわけ今日の概念をあてはめたくないと思われるものもあるかもしれない。
そういう場合は、まず次のように考える。
この形の動揺を保ったまま、ほかの動揺を手放すことはできない。
だから、この演習のために、すべての動揺を同じものと見なそう。(6:1~4)
その後一分ほど心の中を探索し、自分にとってどれほど重要であるかは考慮せずに、
自分の心を乱すさまざまな形をいくつか見つけ出す。
その動揺の源であると知覚されるものの名称と、
あなたが体験しているままのその感情の名称の両方を用いて、
それらの各々に今日の概念をあてはめる。
以下に、もう少し例をあげておく。
私は自分で考えているような理由で、○○について心配しているのではない。
私は自分で考えているような理由で、○○について落ち込んでいるのではない。
(7:1~5)
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・私は自分が考えているような理由で、病気について恐れているのではない。
・私は自分が考えているような理由で、両親のことについて落胆しているのではない。
・私は自分が考えているような理由で、あの出来事に腹を立てているのではない。
・私は自分が考えているような理由で、子育てのことで自責の念があるのではない。
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動揺に大小はないということです。
すべて等しく動揺は動揺だ!ということなのでした。
動揺がどんな内容のものであれ、小さいものであれ、大きいものであれ、
すべて「平安」を乱すために作られていました。
目的はそれだけなの?
と、今はあっけに取られています。
「平安」を感じさせないために「動揺」をでっちあげたのですね・・・・・。