「わたし」はこういう考えで、これが好きで、これは気に入らなくて。
「あなた」はそういう考えで、あれが好きで、あれは気に入らなくて。
というふうに、「個別」の主張で、
どっちかが正しくてどっちかが間違いで、
どっちかが得してどっちかが損して、
どっちかは我慢してどっちかはワガママが通って、
どっちかが勝って、どっちかが負けて。
どちらかの主張が「正解」だと白黒つけないといけないって思ってて、
こんなふうに「心身」、「形」の世界では、「比較」が続いていき、
「比較」したら、それを「競わせる」しかなくて、
どっちが正しいか?など「力技」で突き詰め、
「優位」な方になろうと必死になり、
「分離」が続いていく。
そんな狂乱の世界に嫌気がさして、
そんなふうに外の世界で右往左往して、
「正解」を探し回って、
「正解」の形で安心しようとし、
「正解」以外を排除したり、
「正解」にコンプレックスを抱いたり、
敵を作り続けているのに氣がついて、
もう、そんなのやめたいって、
この分離の考え以外の世界はないのか?と探したら、
「奇跡のコース」に出会って。
「奇跡のコース」では「そもそも、この世界に”分離”は起こっていません」、
「あなたがそのように見ているだけです」とはっきり述べられていたのです。
あまりのシンプルさに怖気づいたけど、心の奥底では納得していました。
もう葛藤の世界から解放される!と嬉しかったです。
そうなると「正解」を確保するために作ってきた「形」から離れることになるので、
とにかく、そもそも”自分”と思っている「心身」を土台に「思考」が働いていた、
そのものの「反応」自体を、手放していくことになり、
それはそれは、またしても混乱続きでしたが、
これまで出会った”兄弟”のみんなに支えられて、
徐々に「わたしが分離したがってただけだ・・・」と認めていってます。
ですが、長年、分離の象徴である「心身」を「わたし」と思い込んでいるので、
この「視点」を手放すのは本当に至難の業です。
だからこそ、「奇跡のコース」では、365日のワークブックと、
徹底した「統合」「真の知恵」の理論がテキストとマニュアルに記されていますが。
けど、これまた、最初は「分離」の「視点」で「奇跡のコース」に挑むので、
見当違いの解釈になってしまい、「分離」の「視点」がますます強化されてしまい、
今度は「奇跡のコース」を特別視してしまうという本末転倒に陥ったりします。
それでも、「分離」から解放された一瞬の「至福」体験と、
自然で安心でゆるぎない喜びの確かさ実感すると、
もう二度と「分離」の夢の世界に戻るなどというシンドイことはしたくない!と強く思っています。
「心身」が「わたし」ではない?!って意味わかりません、、、となりますが、
この視点をレッスンしていくことで、
「分離」のカラクリがひも解けていくので、
もう徹底して「心身」が「わたし」ではないっていう視点のレッスンをやっていくのです。
徹底して、「心身」に起こること、思考、感情感覚、そこから波及し行動してしまうことを、観察しつづけるのです。
「観察」というワンクッションにて、
「私と思っている心身」との同一化から少しずつ離していけるようになるのです。
私の場合、その「観察」の目が、
厳しかったり、責めたり、正そうとしたり・・・・・。
今度はこの癖がなかなか取れないところで悪戦苦闘です。
本当に長年の習慣で、即座に自動反応します。
ですが、これも諦めずにレッスンしていくだけだなぁ~と思っています。
「分離」の心、すなわち、「自我」に厳しかったり、責めたり、正そうとすればするほど、「自我」を「人格化」させてしまい、力を持たせてしまっていますね。
そうすると、益々、「自我」の世界を真に受けて、一喜一憂で疲弊し、「自我」との同一化を強化してしまいます。
そうではなくて、「自我」はそもそも「夢」「幻」「勘違い」なのですから、
「びっくりしないで、ゆっくり目を覚ましてね~~~」と赤ちゃんや子供をあやすように、そっと優しく寄り添う姿勢が大切。
そして、この「自我」に対する姿勢は、
「わたし」ではなく”「わたしたち」”という視点でないと不可能なのでした。
関わる方々、
自分自身、家族、友達、知人、通りすがりの知らない人。
「わたし」ではなく「わたしたち」というすべてがひとつの「心」。
関係性によって使い分けることは不可能だったのでした・・・。
この真実が理解できることで、これまでの「依存」、「被害者意識」、「パワーゲーム」の関わりが、逆になくなっていき、ちゃんと境界線ができていく。
この一見矛盾に思える働きを、
今、日常を通して、丁寧に実践させていただいています。
「わたし」ではなく「わたしたち」という視点は、
心をとてもとても穏やかで喜び溢れるものにしてくれます。
なんだか、苦しい時、嫌な感じの感覚の時は、
「分離」を信じ、この視点を忘れていたのでした。
毎日の全部の出来事をこの見方で見る、
このレッスンがいつも心を愛の中だったと思い出させてくれます。