【奇跡講座】 気づきの記録 ~Humming~

「欠乏」の幻想から目覚めると、「愛」そのものが私たちでした。

聖霊の働きにチューニングする(W レッスン51)

心の中にある「確かさ」という"聖霊"の働き。

 

その働きに任せているだけでよかったのです。

 

ただ、これまでは、どうしたって、この"働き"とチューニングが合わなかった。

 

なぜなら、自分で、自力で、どうにかしようとしてたから。

 

自分で、我流で、どうにかできると思い込んでいたから。

 

その力みを緩めるだけでいい。

 

どこまで?

 

本当に緩むまで。

 

本当に緩んだかどうかわかるポイントは、

 

本当に緩んだ時に、聖霊の働きとつながることでわかる。

 

しっくりする。

 

言葉で表現するのは難しいけど、なんだか、もう満足してしまう。

 

まるで、この世界になんの差もないような、そんな一体感。

 

優しい光の中へ溶け込む。

 

レッスン51 復習

1・私の見ているものには、何の意味もない。

2・私に見えているあらゆるものに、私にとってそれがもつすべての意味を与えたのは私自身である。

3・私に見えているどんなものも、私は理解していない。

4・これらの考えには何の意味もない。

5・私は自分で考えているような理由で、動揺しているのではない。

 

私は自分が見るあらゆるものに、価値判断を下してきた。そして、私に見えているのはこれであり、ただこれだけである。これは心眼ではない。(2:2.3)

私に見えているのは、私自身の思考の誤りが投影されたものである。私が自分に見えているものが理解できない理由は、それが理解不可能なものだからである。(3:3。4)

私が自覚している考えに意味がない理由は、私が神から離れて思考しようとしているからである。私が「私の」考えと呼んでいるものは、私の真の想念ではない。私の真の想念とは、私が神とともに思考する考えである。(4:2~4)

私は常に、自分の考えを真実にしようとしている。自分の怒りが正当化され、自分の攻撃が当然のものとなるように、私はすべてを自分の敵にする。

自分が見るすべてのものにこのような役割をあてがうことによって、それらをどんなに誤って用いてきたか、私はわかっていなかった

自分を傷つけてきた思考体系であり、もはや自分で望んでもいない思考体系を弁護するために、私はこれを行ってきたのである。私は喜んでそれを手放すつもりだ。(5:3~7)

 

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