不安定な世界はいつも心を不安定にする。
だけど、本当は「逆」で、
不安定な心が世界を不安定に見る。
「五感」を通した目は「防衛の機能」だから、
不確かさを映し出し続ける。
まずは、
目を瞑り、
内側の中心にチューニングする。
頭でイメージするのではなく、
「心」と「心」を一致させるような感じ。
そこに「確かさ」があるのに氣づく。
サイレント。
静けさの深みの中に、
「ゆるがなさ」がある。
「創造」がある。
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ワークブック レッスン53
復習
1・(11)私の無意味な考えが、私に意味のない世界を見せている。
2・(12)私が動揺しているのは、私が無意味な世界を見ているからである。
3・(13)無意味な世界は怖れを生み出す。
4・(14)神は無意味な世界を創造しなかった。
5・(15)私の考えは、私が作り出した形象である。
実相は狂ってはいないし、私には狂気の考えだけでなく、真の想念もある。
したがって、真に見るための導き手として私の真の想念に頼るならば、私は実相世界をみることができる(1:4.5)
狂った考えは動揺をもたらす。そうした考えは、どこにも秩序のない世界を生み出す。(2:1.2)
そのような世界の中では、私は平安の内に生きることはできない。
この世界が実在しないことに私は感謝し、自分がそれに価値を置くという選択をしない限りそれを見なくてもよいということをありがたく思う。(2:5.6)
狂気の中にあるものはすべて頼りにならない。(3:3)
今、私はこの信念を撤回し、実相を信頼することを選択する。(3:7)
自分の決断の力を私が思い出せますように。そして、自分が本当はどこに住んでいるのかを、認識できますように。(4:6)
私に見えているものは何でも、私の考えを反映している。
自分がどこにいて、自分が何者であるかを私に告げるのは、私の考えである。
苦しみや損失や死の世界が見えているという事実が、自分の狂った考えの表象だけを見ていて、私の真の想念が私の見ているものに優しい光を投げかけるのを、私自身が妨げていることを示している。(5:2~4)
私が作り出した形象が神よりも優位に立つことはない。そうなることは私の意志ではないからである。私の意志は神の意志であり、私は神の前にほかの神々を置くつもりはない。(5:6.7)
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