「今」以外の居場所はどこにもないのに、
頭の中に入って色んな所に逃げようとする。
「今」という純粋な意識だけが本物。
それ以外は妄想、幻。
妄想や幻は何の力もないので、それはそれで抵抗する必要もない。
感情が揺さぶられ、一時的に魅惑的に思えたり悲劇に浸ったりできるけど、
抑圧せずに、冷静に見つめれば消えていく。
そして、「今」以上に素晴らしいところはないと氣づいている氣づきに戻る。
あまりにも圧倒的な至福だからこそ、「今」に浸るのを怖がっていることを認めて。
自分で「至福」を見ないようにしているのだと・・・。
いろいろと条件をつけて、
これは至福だ、これは至福じゃない・・・と。
これまでの自分が頑なに信じてきた自我の定義で選別して、
「過去」「未来」という時間軸の幻に自分を閉じ込めてきたのですね。
それでも「今」は悠然とあり続けているから、
「自我の言い張り」を速やかに退けて、
素直に「今」に戻ります。
「今」から優しくあたたかく抱きしめられます。
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ワークブック レッスン60
復習
1・(46)神は愛であり、その愛の中で私は赦す。
2・(47)神は強さであり、その強さを私は信頼する。
3・(48)恐れるべきものは何もない。
4・(49)神の声は、一日中、私に語りかける。
5・(50)私は神の愛に支えられている。
非難されるところのない者が非難することはありえず、自分に罪がなく無垢であることを受け入れた者には、赦すべきものは何も見えない。(1:3)
私は、私自身の強さによって赦すのではない。私の中の神の強さによって赦すのであり、赦すとき私はその力を思い出している。
真に見始めるとき、私はこの地上に神の反映を認識する。
自分の内側に神の強さが湧き上がるのを感じるので、私はすべてを赦す。
そして私は、かって自ら忘れることを選んだ愛、しかし私を忘れてはいない愛のことを、思い出し始める。(2:1~6)
私が世界を真に見ることができるとき、世界は私の目にどれほど安全に見えることだろう!それは、今、私が見ていると想像している世界とは似ても似つかない。
私がみるあらゆるもの、あらゆる人が、私を祝福しょうとして身を乗り出してくるだろう。すべての人の中に、私は最愛の友を認識するだろう。(3:2~5)
神の声は一瞬も止むことなく、私の想念を方向づけ、行動を導き、歩みを先導する。(4:3)
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