「奇跡講座」を読み進めると、不平不満のトリックが明らかになっていく。
拗ねた心や欠乏感、恐れと罪意識が「本当の姿」を覆い隠すための反応だったことに氣がつく。
不満をもって見ていた人達や出来事は、「私の心の中」のストーリーのシナリオとして現れただけだった。
ヒドイ役割を与えてしまっていたし、巡り巡って自分が自分に向けていた役割だった。
そんなヒドイ役割から解放されたら、ただただ泉のように心が喜んでいる。
誰の事ももう罪悪の虜にしなくていいし、恨みつらみや怒り悲しみからの解放に、傷だらけの自我もホッとして横たわっている。
そして、ただただ祝福だけがある。
楽園とは笑顔の心だ。
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ワークブック レッスン78
奇跡がすべての不満と入れ替わりますように。
あなたが不満を捨てるとき、以前はそれが立ちはだかっていた場所に、輝く光に包まれた神の子が姿を現すだろう。
どの不満も真の視覚をさえぎる障害であり、それが取り払われるたびに、あなたは神の子がこれまでも常にいたところに神の子を見るからである。(3:1.2)
この人の中にいる私の救済者を、私に見せてください。
あなたはこの人を、聖なる光へと導いてくれるように私が頼むべき相手と定めました。私がその光の中にいるこの人とつながることができますように。(7:3)
出会う人、心に思い浮かべる人、過去の記憶から思い出される人、その一人ひとりに救済者の役割が与えられるのを受け入れなさい。
そうすればあなたもその役割をその人と共有できるようになるだろう。
あなたがた二人のために、また、真の視覚をもたないすべての者たちのためにも、次のように祈ろう。
奇跡がすべての不満と入れ替わりますように。
(10:3~5)