自分が「自我」だと思い込んでいる間は、「問題」が終わることはない。
「問題」は「自我」の特徴そのものだから。
解決されたと思ったら次の問題を浮上させるのが「自我」の働きだから。
この終わらない葛藤のループをただ静かに見つめよう。
「問題」だと捉えている思考をそのままにして、
それにくっついている体感覚をただ感じよう。
それは優しく純粋な空間に消えていく。
ただ消えていく。
傍観者という「全一」。
純粋な空間としての働きだったと思い出そう。
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ワークブック レッスン90
復習
1・(79)問題が解決されるように、私が問題を認識できますように。
2・(80)私の問題がすでに解決されていることを認識できますように。
私にはいくつもの問題があるように見えるが、その理由は単に、私が時間を誤用しているからである。
私は、問題のほうが先に生じて、それが解決されるまでには時間が経過しなければならないと信じている。
問題と答えが同時に起こっていることが、私には見えていない。
その理由は、問題と答えが時間によって引き離されることのないように、神が答えを問題と同じところに置いたことを、私はまだ悟っていないからである。
私が頼めば、聖霊はそのことを私に教えてくれるだろう。
そして私は、自分にはすでに解決されていない問題はありえない、ということを理解するだろう。(3:1~7)
私はこれが解決されるのを待つ必要はない。
この問題に対する答えは、私がそれを受け入れるなら、すでに私に与えられている。
時間はこの問題をその解決から分離させることはできない。
(4:2~4)