「今」に集中したり、「今」に溶け込むことで、”肉体”は消え去っているのにもかかわらず、ただ「そうなのだ!」と認めることをしていないだけなのですね。
肉体があり、肉眼が見ているものを「本物」だと信じようとして、頑なになっているだけなのですね。
この思い込みを持っている間は、不確かさ、という「闇」に迷い込んでいる。
奇跡は光の中で見える。
肉体の目はこの光を知覚しない。
しかし私は肉体ではない。
私は何なのだろう?
(6:2~5)
この問いかけの中に100%ゆだねてみますと、
じんわりと湧き上がる「確かさ」があります。
言葉では表せませんし、形容できませんし、この世的な理由も見つかりませんが、だからこそ「確か」なものです。
真摯に、問いかけるだけなのです。
その無垢な行為がスペースを誘発します。
そして、そのスペースこそが「光」そのものなのです。
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ワークブック レッスン91
奇跡は光の中で見える。
奇跡には必ず心眼が伴うと覚えておくことが重要である。(1:1)
あなたの心眼が原因となって奇跡が現れるのではなく、
あなたが見ることに失敗した結果、奇跡が消え去るのでもない。
変化するのは、あなたが奇跡を自覚するか否かということのみである。
光の中にいれば、あなたは奇跡が見えるが、闇の中にいるなら奇跡は見えない。
(1:5~7)
あなたが自分が肉体ではないと自分自身に教えるとき、これは非常に簡単に達成される。(5:2)
あなたが「自分」だと思っているものは、取り消されるべき信念である。(6:7)
何か別のものについて実際に経験する必要がある。(7:4)
あなたが肉体でないのだとしたら、あなたは何なのだろうか。正直にこう尋ねなさい。(8:1.2)
すべての弱さの感覚は、あなたが肉体であるという信念に関連しているということを思い出しなさい。その信念は間違っていて、信仰の対象としてふさわしくない。
ほんの一瞬でもよいから、それを信じるのをやめようと努力してみなさい。
進んでいくにつれて、あなたの中のもっと価値あるものに信を抱くことに慣れてくるだろう。(9:3~5)
残りの練習時間は、自分の努力が微々たるものであっても、それは神とすべての想念の強さによって充分に支えられていると確信しつつ、ゆったりとくつろぐ。
あなたの強さはそこから生じる。
その力強い支援により、あなたは自分の内に強さを感じる。
あなたがこれらの神の想念が目指すのと同じ目的を共有するこの練習時間には、神の想念はあなたとひとつになっている。
その強さはあなたのものであるので、これらの想念の光の中で、あなたは奇跡を見る。あなたが真に見ることができるように、その強さがあなたの目となる。
(10:1~6)