身体の調子に気を取られてしまっていたけど、まったくの見当違いなのだなぁと。
目を閉じて、身体の感覚器官を超えた奥に、まったく揺るがない確かな感覚がある部分。そしてそれは、この世界全ての中にある確かさ。
私だけではなく、全てに備わっている。
だからもう、「違う」ところを見たり聞いたり思考したりして動揺しているもう一人の私(自我)を、そっと休ませよう。
それはそれで、動揺したり反応したりしていても、ただそういう性質なのだから、と優しく微笑み休ませよう。
そうして、今日のレッスンの毎時5分を聖霊にゆだねよう。
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ワークブック レッスン96
救済は私の一なる自己から訪れる。
心と肉体の両方が実在することはありえない。
この二者を和解させようとするのはやめなさい。
一方は他方の実在性を否定するものだからである。
もしあなたが物質的存在だというのなら、そのような自己概念からは、あなたの心は除外されている。
その中には、あなたの心が真にあなたの一部となりうる余地はないからである。
もしあなたが霊であるなら、肉体はあなたの実相にとって無意味なはずである。
(4:4~7)
霊は自己を表現する手段として心を用いる。
そして、霊に仕える心は安らかであり、喜びに溢れている。
その力は霊からもたらされ、ここでの自らの機能を幸せに全うしている。
しかしまた、心は自らを霊から切り離されたものとして見て、自らを肉体と混同し、肉体の中に自分を知覚することもできる。
そのとき本来の機能をもたない心に平安はなく、それが抱く考えは幸福からかけ離れたものとなる。
(4:1~5)
今や本来の機能から解離された心は、自分が孤独で分離しており、包囲する敵に攻撃されて肉体の脆弱な砦の中に隠れていると考える。
そうして、今や心は、異質なものを同質のものと和解させなければならなくなるが、それは、そうすることが自分が存在する目的だと考えるからである。(5:3.4)
あなたの自己は自らの想念を保持しており、その想念はあなたの心と神の心の中にとどまっている。
聖霊はあなたの心の中に救済を保ち、心に平安への道を差し出す。
救済はあなたが神と共有する想念である。
なぜなら、神からの声があなたにかわって救済を受け入れ、あなたの名において救済が達成されたと答えたからである。
救済は、このようにして、あなたの自己があなたにかわって愛しみ、大切に抱いている想念の一つとして保持されている。(7:1~4)
私たちは今日、この想念を見つけ出すことを試みる。
それがあなたの心の中に存在していることは、あなたの一なる自己からあなたに向かって語りかける聖霊が保証している。
毎時行う5分間の練習では、あなたの心の内に聖霊を探す。
救済は、一なる自己とあなたの心の架け橋である聖霊を通して、一なる自己から訪れる。忍耐強く待ちなさい。
そして、あなたの自己について、また、自己に回帰し自己の意志に仕える自由を得たあなたの心に何ができるのかについて、聖霊に語ってもらおう。
(8:1~4)
救済は私の一なる自己から訪れる。
その自己の想念は私のものであり、私が使うことができる。
(9:2.3)
練習がうまくいけば、あなたに浮かんでくる考えが、あなたが救われていることをあなたに知らせ、あなたの心が失くしてしまおうとした機能が見つかったことを告げるだろう。あなたの自己はあなたの心を喜んで迎え入れ、平安を与える。
強さを回復した心は、再び霊から流れ出て、霊がそれ自体と同じものとして創造したすべてのものの中に宿る霊へと達するだろう。
あなたの心はすべてを祝福する。
混乱は終わり、あなたは取り戻された。
あなたが真の自己を見出したからである。
(10:1~4)
あなたの自己は、あなたが今日は失敗しないと知っている。
あなたの心はまだ少しの間、不確かなままかもしれない。
だからといって、落胆することはない。
あなたの自己は自らが体験する喜びをあなたのためにとっておき、いずれあなたはそれが自分のものであることを完全に自覚するだろう。
(11:1~4)