「奇跡」の瞬間、という真実の幸せにふれるとき、その瞬間を受け入れる心の準備が十分でないときは、その幸せ感を、すぐ打ち消すように心が働いてしまう。
「こんなに上手くいくはずがない」
「どうせすぐ戻る」
「こんな幸せな感覚になるなんておかしい」
あんなに待ち望んでいた至福感を、全部受け取ることに恐れを感じてしまう。
自我の特徴である”分離による恐怖という恒常性”を手放すには、「コース」の本をただ素直に読むことだなぁ~と改めて思う。
読んでも難解だったり、抵抗があるのは、自我の怖れに他ならない。
そのことを自覚して、それでも、その抵抗も全部、認めながら、「コース」の述べることに心を沿わせていく練習が、至福の住人だったという真実から逃げる必要がない心の癒しをもたらせてくれる。
「コース」の慈愛という計らいを受け取り、私たちの真の姿のままを受け入れよう。
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ワークブック レッスン102
私に幸せを望む神の意志を、私も共有している。
あなたは苦しむことを望んではいない。
あなたは苦しむことで何かが手に入ると思うかもしれない。
それによって自分の望むものが得られると、今でもまだ少しは信じているかもしれない。
しかしその信念は今、確かに揺らいできており、少なくともあなたがそれに疑問をもち、それは本当は意味をなさないのではないかと疑うところまではきている。
(1:1~3)
今日、私たちは、そのぐらつき始めた信念をさらに揺るがし、苦痛には目的がなく、原因もなく、何を成し遂げる力もないということを、よく理解するように試みる。
苦痛によって手に入るものなど何もない。
それは何をもたらすこともなく、存在もしていない。
それが自分にもたらしてくれるとあなたが思っているものはすべて、それ自体と同じく、存在していない。
あなたはこれまで虚無の奴隷になってきた。
今日は自由になって、幸せな神の意志とひとつにつながりなさい。
(2:1~5)
幸せでありなさい。
なぜなら、ここにいるあなたの唯一の機能は幸せでいることだからである。
神の愛により、神ご自身と同じように愛するものとして創造された神の子に対して、あなたの愛が、神の愛に劣るものとなる必要はない。
この毎時五分ずつの休息に加えて、今日はたびたび静止して、今、唯一の機能として幸せを受け入れた、と自分自身に言おう。
そして、そのように言うときには、必ず神の意志とひとつにつながろうという気持ちでいなさい。
(5:1~3)