「真理」「真実」を求めているときは、全く苦しまないし失敗もしないとコースに述べられている。
なので、苦しく思える時、なにかしら辛い時は、求めていることや、求めているもの、見ているものが、間違っている、見当違いだということに、と氣づく。
「幸福が無いところをいくら探しても無い」ということ。
ただそのシンプルさに氣づいて、無いところを探したり、居座ったりするのをやめるだけ。
それには、ほんのわずかな勇気と意欲が求められている。
「見るところを間違っていました」、という素直さだけが必要。
幸福ではなく、自分が苦痛や悲劇や疲労を選択し、それを見ていたかったのだと認めること。
そして、「自分流」をやめて、無個性で、無我である、皆に等しく与えられている「絶対的な愛」をアッサリと受け入れ、その只中の私たちを祝福する。
無条件に降伏するとは、無条件に幸福になる、ということなのだ。
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ワークブック レッスン103
神は愛なのだから、幸福でもある。
愛には限界がなく、至るところに存在する。
だから喜びも、あらゆるところに偏在する。
(1:4.5)
神は愛なのだから、幸福でもある。
神を恐れることは、喜びを恐れることである。
(2:4.5)
今日は目覚めている間、一時間ごとに、この一なる訂正をあなたの心に受け入れなさい。
そうすれば、あなたは苦痛のかわりに喜びを期待するようになるだろう。
神は愛なのだから、それがあなたに与えられるだろう。
一日を通して何度もこの期待を強め、以下の完全に真実で優しい安心の言葉であなたの怖れを鎮めなさい。
神は愛なのだから、幸福でもある。
私が今日、追及するのは幸福である。
私は真理を追究しているのだから、決して失敗しない。
(3:1~7)