人や世界に対して「嘆いている」と思い込んでいたけど、本当は自分を「嘆いていた」だけ。
「嘆き」は分離の専売特許。
誰のことも「嘆く」必要なんてない。
自分と兄弟をこれ以上貶める必要はない。
皆、すでに、天国にいる。
過去という幻想の中で握りしめている数々の「裁き」を、全部光に差し出そう。
私と兄弟の本性を見誤って、暗闇に放り込んできたすべて。
このすべてを、優しい光の中へと差し出す。
怒涛の癒し、光の噴水の中へ。
これ以上の天命はなかったのです。
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ワークブック レッスン105
神の平安と喜びは私のものである。
真に与えるとは、すでに完全である全体に対して与えることであり、単に何かを何かにつけ加えるといった意味合いの「加えること」ではない。
何かがつけ加えられるのだとしたら、加える前はもっと少なかったことになるからである。
真に与えるということは、自ら溢れ出るのを抑えきれないものに、その目的を全うさせることにより、加えるということである。
すなわち、自分がもっているすべてを与え放つことによって、すべてを永遠に自らのために確保するという目的が成就されるのである。
(4:4.5)
今日はまずはじめに、神の平等の法のもとでは自らの当然の権利であるはずの平安と喜びを、あなたによって拒否された兄弟のことを考えてみよう。
そこで、あなたは平安と喜びを自分自身に拒否したのである。
だから、それらを自分のものとして宣言するために、あなたはそこに戻らなければならない。
(6:1~4)
あなたの「敵」についてしばらく考え、該当する人が思い浮かぶたびに、その人に対しこのように言う。
私の兄弟であるあなたに、平安と喜びを差し出します。
それにより、私も、神の平安と喜びを自分のものにすることができますように。
(7:1.2)
今日は決して神が意志することを妨げないと決心しなさい。
そしてもし兄弟が、神の贈り物を彼に対し拒否するようにあなたを誘惑しているかに見えるときは、その状況をあなたが神の贈り物を自分のものとして受け取るための新たなチャンスとして捉えよう。
それから兄弟を感謝の気持ちで祝福し、このように言おう。
私の兄弟であるあなたに、平安と喜びを差し出します。
それにより、私も神の平安と喜びを自分のものにすることができます。
(9:4~6)