目を閉じて、静かにすれば、もうすでに何者だったのかを思い出す。
そこにいようとしないのは「自我」だけ。
静けさを怖がり、大声でわめき散らそうとする。
そんな衝動そのものをただ優しく促し、「愛に包まれるのが怖かったんだね」と抱きしめる。
そうして、その静けさの奥の深い慈愛が満ちたままにする。
自我がどんな幻想を作ったとしても、
謝る必要もないし、嘆く必要もないし、怖がる必要もないけど、
ただ「直視」してあげるだけなのだ。
そこには何もないことがわかるから。
そして、やはり、静けさの奥のあふれる愛に包まれる。
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ワークブック レッスン110
私は神が創造したままの私である。
過去を癒し、未来を解放するのに、これだけで充分である。
現在がそのままに受け入れられるにも、これだけで充分である。
(2:2.3)
あなたが神が創造したままであり続けるなら、見かけだけのものが真理に入れ替わることはできず、健康が病気になることも、死が生の代替となったり、恐れが愛の代替となることもありえない。
あなたが神が創造したままであるなら、こうしたことのすべてがもともと起こっていはいない。
償いが訪れて世界を照らし、世界を過去から自由にするためにあなたに必要な概念は、この一つだけである。
(3:1~3)
今日は、本来の神の子の代替としてあなたが自分で作り出した偶像の神の子を、崇拝するのはやめなさい。あなたの心の奥深くで、内なる神聖なキリストがあなた自身として認められるのを待っている。
彼が認められず、知られないままでいるうちは、あなたは道に迷ったままであり、自分自身を知らない。
(9:3~5)