レッスン92 6:1~4・7:1~6・8:1~2・9:1~3
弱さは闇の中で見ているので、愛と赦しの中にある目的が見えない。
弱さは、ほかのすべてが自分と違っており、分かち合いたいものなど世界中に一つもないと見ている。
それは裁き、咎めるが、愛することはない。
隠れるために闇の中にとどまり、ただ闇の中で肥大し続ける制限の数々を前にして、自分はそれらを打ち負かす強き征服者だという夢を見る。
弱さは怖れ、攻撃し、自分を憎むので、それが見る一切を闇が包み、自分の夢を自らと等しく恐ろしいものにする。
ここには奇跡はなく、あるのは憎しみだけである。
光と強さは自らをひとつのものと知覚するのに対し、弱さは見る対象から自らを切り離す。
強さの光というものは、今あなたに見えている光とは違う。
この光は変化することがなく、ゆらゆらと明滅して消えてしまうこともない。
夜から朝へ、昼から夜へと移り変わるように、光が現れたり去ったりすることもない。
強さの光は不変であり、愛と同じく確実で、いつでも喜んで自らを与え続ける。
この光は自分自身に与えずにいることはできないからである。
その視覚を共有したいと求めて、それが叶わない者はいない。
また、その住まいに入る者で、奇跡を見て、自らの胸に強さと光を宿すことなく、そこを出る者はいない。
あなたの内なる強さは光をもたらし、あなたが真に見えるように導くので、あなたは肉体の目が自己欺瞞のために提供する無益な幻想のもとに長居はしない。
あなたの中で強さと光がひとつになり、あなたの真の自己が、それらが出会うところであなたを自らのものとして抱擁しようと待っている。
そこが、今日私たちが見出して安らぎの場にしようとしている出会いの場である。
あなたの真の自己である神の子が自らと再び出会い、ひとつになれるのを今も待っているその場所に、神の平安があるからである。
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こんなに堂々と導かれているのに、「私に光はふさわしくない」などと逃げていた。
ふさわしくなるために、いろいろ難問を掲げ、それを手に入れないと「光」を自覚できないなどと、思い込んでいた。
「光」の自覚に、「条件」などなかった。
私たちは、ただただ、このことを思い出すだけなのだ。
私が「光」なら、すべての人も「光」。
それ以外として見えているものはただの幻想。
この圧倒的にシンプルな原理だけが”確かなもの”なのだ。
・・・
復習 レッスン111
奇跡は光の中で見える。
奇跡は光の中で見え、光と強さはひとつのものである。
闇の中では見ることはできない。
聖性と真理の光が私の心を明るくし、内なる無垢性を見ることができますように。
(1:2.3)
神からの贈り物である強さを通して、私は見る。
神から与えられる神の強さが私の弱さと入れ替わり、その贈り物が、私の弱さである闇を消し去ってくれる。
(2:2.3)