「罪」をリアルなものへとでっちあげた感情と感覚を解放する。
「罪」がこの世をリアルに見せているとき、焦燥感を感じる。
その焦燥感を、全部感じて明け渡す。
あとは、ゆだねる。
私たちは両手を空にすることで、引き上げられる。
作ってきたと思ってきた透明の夢をただ見過ごす。
創造の中へと身を任せる。
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レッスン130
二つの世界を一度に見ることはできない。
知覚には一貫性がある。
あなたが見ているものは、あなたの思考を反映している。
そしてあなたの思考は、あなたが見たいと選択したものを反映しているにすぎない。
(1:1~3)
しかし愛には敵はありえないので、それらには原因がなく、実在もなく、もたらされる結果もない。
それらが価値あるものとして大切にされることはあっても、実在しないものであることに変わりはない。
そうしたものを探し求めることはできるが、見つけることはできない。
今日私たちは、それらを探し求めることはしないし、見つからないものを探して一日を無駄にすることもしない。
(4:5~8)
今日のレッスンはさらに、あなたに見えている世界はその世界を見るあなたの考え方と一致するものである、ということも教えている。
その世界は、一つの感情から生じて、あなたの目に見える一切の中にその源を映し出すのだから、地獄も天国もそれぞれがひとまとまりのものとしてあなたに訪れる。
(6:4~5)
あなた自身の強さをはるかに超えた強さが与えられるように願い、自分が探し求めているものが何であるかを認識することによって、もう一つの世界の探索を始めなさい。
あなたは幻想を望んではいない。
だからこの五分間の練習に望むときは、この世界のつまらぬ宝を手放し、両手を空にしておきなさい。
次のように言いながら、神が助けてくれるのを待つ。
二つの世界を一度に見ることはできない。
私が自分の自由と解放を見つけられるように、神の与えてくれる強さを受け入れ、この世界にいかなる価値も見ずにいられますように。
(8:1~6)
神はそこにいてくれるだろう。
あなたは、決して失敗することのない大いなる力に訴えたのであり、その力は感謝のうちに、あなたとともにこの大きな一歩を踏み出してくれるからである。
また、神の感謝がはっきり知覚できる形で真に表現されるのを、あなたが見逃すことはないだろう。
それは知覚ではあるが、以前の自分の目だけで見ていた見方とは違った種類の見方なので、あなたはそのとき自分が見るものを疑うことはないだろう。
そしてあなたは、自分がこの選択をしたとき神の強さがあなたを支えていたと知るだろう。
(9:1~5)
今日は、誘惑が生じたときには、単に自分の選択の限界を思い出すことにより、簡単にそれを退けよう。
あなたが見るのは、非実在か実在か、虚偽が真理か、ただそれだけである。
知覚は一貫してあなたの選択に一致するので、地獄も天国もそれぞれひとまとまりのものとしてあなたに訪れる。
(10:1~3)