「自分」だと言い張り、その「自分」が握りしめていた思いを、やめる。
自分のダメなところ、嫌な思い出、嫌いな人、終わらせていない出来事。
それを握りしめていることで、「罪」を終わらせないでいた。
「個人」であるということは「罪人」であるということ。
「罪人」はこの世界を必要としている。
私は「罪人」ではない。
そう認めた。
そして、この世界を手放す。
いつまでも、「罪悪」を見続けるなんてしない。
もう必要ないとわかったから。
だから、この世界を解放する。
そのやり方は、
聖霊とともに、光とともに、慈悲慈愛と祝福の祈りで在るだけだ。
自我で自我を扱わない。
自我が通り過ぎるのを、ただ見つめるだけ。
シンプルで、優しい。
このシンプルさに下りて行こう。
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レッスン132
これまで「世界」だと思ってきたものすべてから、私は世界を解き放つ。
あなたの信念以外に何が、この世界を鎖につないでいるだろう。
そしてあなたの自己以外に何が、この世界を救えるだろう。
信念はまさしく強力なものである。
あなたの抱く考えには力があり、幻想もそれらがもたらす結果という点では、真理と同じく強力である。
狂人は自分が見ている世界は実在していると考え、それを疑うことはしない。
自分の考えからもたらされた結果に疑問を抱いても、彼の信念が揺らぐことはない。
それらの考えの源が疑問の対象とされたときに初めて、自由の望みが、ついて彼のもとに訪れる。
(1:1~7)
こうして、時間は現在だけになる。
(3:1)
死が世界のあらゆる場所を襲うのは、あなたが心の中に苦々しい死の想念を抱いているからである。
(3:5)
世界それ自体は無である。
(4:1)
神が創造したままの私は、自分が「世界」だと思っていたものすべてから、世界を解き放ちたい。
世界が実在しないからこそ私は実在するのであり、私は自分自身の実相を知りたいのだから。
(15:2.3)
あなたが世界を祝福するためにこれらの考えを送り出すとき、世界の遠く離れたところにいる兄弟にも間近にいる兄弟にも癒しが訪れる。
だが、それをあなたが自覚する必要はない。
しかし自分が解放されたことは感知するだろう。
それでも、あなたにはまだ、自分ひとりが解放されるのではない、ということを充分理解できないかもしれない。
(16:1~2)
今日一日、あなたの想念を通して全世界に送り出される自由を増大させよう。
自分の心の単純な変化がもつ力を否定したくなったときには、いつでも次のように言おう。
私は自分が「世界」だと思っていたものすべてから、この世界を自由にし、そのかわりに私自身の実相を選択する。
(17:1.2)