【奇跡講座】 気づきの記録 ~Humming~

「欠乏」の幻想から目覚めると、「愛」そのものだったと氣づきます。

全部私、全部私たち(W レッスン150)

私たちは、神により神と同質のものとして創造されたときに与えられた智識を失ってはいない。

すべての心はひとつのものとして創造されているので、私たちはその智識をすべての人のために思い出すことができる。

そして、私たちの記憶の中には、兄弟たちが真実にはどんなに愛おしい存在であるかを思い出させるものがある。

すべての心がどれほど私たちの一部をなすものであるか、彼らが私たちに対しどれほど誠実であったか、そして父の愛がいかにして彼ら全員を包含しているか、といったことが、私たちの心によみがえってくるだろう。

(レッスン139 11:4~6)

 

すべての被造物について感謝しつつ、創造主の名と、神の被造物の全側面との一体性の名において、今日は一時間に一度、私たちの目標に貢献する言葉を繰り返す。

そのとき私たちは、神聖な目的から気持を逸らすあらゆる雑念を脇に置く。

数分の間あなたの心を空にするために、世界が聖なる神の子の周りにくもの巣のように張りめぐらせている妄想を一掃しなさい。

そして次のように言いながら、あなた自身についての智識を自覚させないようにしているかに見える鎖がどんなに脆いものかを学びなさい。

(レッスン139 12:1~3)

 

そこに程度の差は存在しない。

また、実在していないものが、ある形よりもほかの形において真実であると信じる信念もない。

それらすべてが偽りであって真実ではないからこそ、治療が可能となるのである。

(レッスン140 9:4.5)

 

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今朝は大雨と強風。

 

そして、このワークをしながら、氣づく。

大雨も強風も私だったのだ。

昨日会った人も、すれ違った知らない人も、憧れていたあの人も、一緒に住んでいる夫も、離れて暮らしている家族たちも、私なのだった。

 

何もわかれていない、ひとつのもの。

 

離れてなどいない。

思いわずらっている時は、それがわかれている夢を見ているだけなのだ。

心が散り散りになってるときは、文字通り、分離の夢をみているだけなのだ。

 

そんな時は静かになるだけ。

何とも誰とも離れていない。

 

ひとつだったよ。

 

今、雨とひとつになってみた、強風ともひとつになってみた。

 

喜びがわいた。

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ワークブック

復習

レッスン150

 

私の心の中にあるのは、私が神とともに考えている思いだけである。

 

(139) わたしは自分自身に贖罪を受け入れる。

(140) 救済だけが治療をもたらすと言える。

 

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人は眠っているか目覚めているかのどちらかである。その中間はない。

(140 2:6)