マインドではなくハートが本性。
目についている自我の世界を看過する。
氣づきや体感した真理に、微妙に控え目になったり、どうせわかってくれないとか、どうせ誰も求めてないとか、どうせ抵抗されて自分がしんどくなるとか、そんなことはまったく重要ではない。
聖霊にゆだねよう。
自我(頭)を看過し、素直に聖霊に頼ろう。
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ワークブック
レッスン151
すべてのものごとは、神を代弁する声のこだまである。
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父と子の栄光を知る聖霊にとって、肉体にどんな意味があるというのだろう。
自我のどのような囁きが、聖霊に聞こえるだろう。
あなたの罪が実在すると、聖霊に納得させることなどできるだろうか。
この世界の中であなたの身にふりかかるように見えるすべてのことについても、聖霊に判事となってもらいなさい。
聖霊の教えるレッスンにより、あなたは幻想と真理との間の隔たりと埋めることができるようになるだろう。
(9:3~7)
苦痛、災難、苦しみ、損失などが確かに存在すると思ってきたあなたの信念のすべてを、聖霊は取り除いてくれるだろう。
こうした陰鬱な外観を看過し、それらすべての中にキリストの優しい顔を見ることができる心眼を、聖霊はあなたに与える。
神に愛されているあなたには善きことだけが訪れるということを、あなたはもはや疑わなくなるだろう。
聖霊がすべての出来事を正しく判断し、それらすべてに含まれている唯一のレッスンを教えてくれるからである。
(10:1~3)
聖霊はそれらの出来事の中で真理を表している要素だけを選択し、無意味な夢を反映する部分は気にかけない。
そして聖霊は、あなたが見ているすべてのものを解釈し直す。
完全に統一された確実な一つの判断基準に基づいて、あらゆる出来事、あらゆる状況、あなたに影響を与えるように見えるどんな出来事をも、解釈し直してくれる。
そうしてあなたは、憎しみを超えたところに愛を、変化の中に不変性を、罪の中に清きものを、世界の上に天国の祝福のみを、見るようになる。
(11:1~3)
これがあなたの復活である。あなたの生命は、あなたの目に見えるいかなるものの一部でもないからである。
それは肉体とこの世界を超えたところにある。
神聖でないものを証言するあらゆる証人を超え、聖なる存在の中にあり、聖なる存在自身と同じく神聖である。
聖霊の声は、すべての人とすべてのものの中であなたの自己と創造主のことだけを、あなたに語るだろう。
そして、あなたの自己と創造主はひとつのものである。
そのようにして、あなたはすべての者の中にキリストを見るだろう。
そしてすべてのものごとの中に、神の声のこだまだけを聞くだろう。
(12:1~4)
今日は、神とともに過ごす時間のはじまりだけは別として、言葉は使わずに練習する。
練習の時間は、今日の主題概念をゆっくりと一度だけ繰り返すことから始める。
続いて、自分の考えを注視し、それらの中の真理の要素を見ている聖霊に、無言で訴える。
心に浮かぶ考えの一つひとつを、聖霊に評価してもらいなさい。
そして、そこから夢の要素を取り除き、神の意志と矛盾しない清浄な想念に返してもらいなさい。
(13:1~4)
聖霊にあなたの考えを渡せば、聖霊はそれらを奇跡に変えてあなたに返してくれる。
その奇跡は、神の永遠の愛の証として、神が神の子に与えようと意志する全一性と幸福を喜んで宣言する。
そうして変容するたびに、それぞれの考えは、その中に真理を見ていた一なる心からやってくる癒しの力を帯びるようになる。
その心は、誤ってつけ加えられていたものに欺かれることはなかった。
空想をつむいでいた糸はすべて消え去っている。
そして後に残ったものは一つの完璧な想念へと統合され、その想念があらゆるところにその完璧さをゆき渡らせる。
(14:1~4)
朝、目が覚めたときに、こうして十五分を過ごし、夜、就寝前にもう一度、同じように十五分を喜んで捧げよう。
あなたの考えのすべてが清められたとき、あなたの司牧の職務が始まる。
そのようにしてあなたは教えを受け、神の子が自分自身の聖性を学ぶ聖なるレッスンを教えるようになる。
神を代弁する声が神の子を讃えるのをあなたが聞くとき、誰もがそれに耳を傾けずにはいられない。
そして、その声があなたの心の中で解釈しなおした考えを、誰もがあなたと共有するだろう。
(15:1~5)
これがあなたの復活の時である。
だから、あなたの罪と死の証人のかわりに、純白の百合の花をこの世界への贈り物とする。
あなたの変容を通して世界は贖われ、喜んで罪悪感から解放される。
私たちに正気を取り戻してくれた聖霊に感謝し、喜びのうちに、私たちは今、復活した心を天に向ける。
(16:1~4)
そして私たちは、救済と解放そのものである聖霊を、一時間ごとに思い出す。
私たちが感謝を捧げるとき、世界は私たちとひとつになり、私たちの神聖な考えを快く受け入れる。
それは天国により正されて清らかになった考えである。
こうして、ついに私たちの司牧の職務が始まった。
真理の中に幻想はなく、神の平安は私たちを通して誰にでも属しているという喜ばしい知らせを、私たちは世界中に運んでいく。
(17:1~3)