防衛しないでいることが難しい。
つい癖で防衛してる。
言わなくていいことを言ったり、
逆に言うことを言わなかったり、
アピールしなくていいことをしたり、
愛想笑いしたり、
逆に控えめにしていたり、
これまで、防衛で生きてき過ぎて、いつの間にか、防衛してる。
もうわからん、ってなる。
でも、わからんでいいのだ。
コース学んで、防衛に気づいていけるようになっても、つい、緊張している。
だけど、幻想をいくら防衛しても幻想。
だから、反省ではなく、全部聖霊に差し出す。
全部神様にお任せする!
神様以上の結果はないのだから。
ワークブック
レッスン153
防衛しないことの中に、私の安全がある。
・・・・・
防衛の姿勢によって、自分が神の神聖な平安をどのように妨害してきたのか、わかっていない。
(5:4)
防衛しないことは強さである。
(6:1)
あなたが戦っている相手が幻想である今、幻想以外の何があなたを防衛できるだろうか。
(7:4)
神の司牧者の機能は、兄弟が自分たちと同じ選択ができるように助けることである。
神はすべての者を選んでいるが、神の意志は自分自身の意志でもあると悟った者はわずかしかいない。
そしてあなたが学んだことを教えることができずにいる間は、救済は待ち続け、世界は陰鬱な闇に幽閉されたままである。
(11:1〜3)
あなたは自分の父から見捨てられて、望みを失ったというゲームをしてきた。
罪と罪悪感で気が狂っている恐ろしい世界で、たったひとりで恐怖に震える訳を演じてきたあなたは、今、幸せになりなさい。
そのゲームは終わっている。
今や、静かな時間が訪れた。
罪悪感という玩具を片づけ、一なる神の子である天国の子供たちの清らかで神聖な心から、子供じみたおかしな罪の概念を一掃する時である。
(13:1.2.3)
あなたの心の本来の目的から逸らさないために、これからの練習には、愛から生じる熱意が必要となってくる。
恐れることはない。
また、臆病になってもいけない。
あなたが最後のゴールに到達することに疑いの余地はない。
神の司牧者たちからすべての兄弟に向かって輝く愛と力と平安は、神からもたらされるのだから、彼らが失敗することはありえない。
これらが神からあなたへの贈り物である。
その返礼としてあなたが神に差し出すべきものは、防衛しない態度だけである。
あなたがキリストとその無罪性を見るために放棄するのは、一度も実在したことのないものだけである。
(20:1〜7)