今朝の夢は、遅刻をして必死に走っていて、なかなか思う通りに走れず、焦っていて、遅刻の言い訳を捻り出しながら走っている、というものだった。
ヘトヘトな状態で目が覚めた。
睡眠取ったのに、起きた時疲れてるという状態。
「思考」のみで作り上げた世界の中で、「思考」のみを使ってどうにかしょうとしていた、ということに、夢から覚めた瞬間気がついた。
そっか、ずっと思考の中なんだー、と思った。
必死に失敗を取り繕うために頭を使って、どうにか、遅刻という失敗を挽回するための言い訳を考えてながら、走ってた。
夢から覚めたとき、
「あぁ、私はいつまで、罪悪の幻想に憑りつかれているのだろう、いつまで、自分を罰してるんだろう」とぐったり、ガッカリした。
これまでも、こうして「思考」による幽閉した世界を作り上げて、結末は「絶望」という夢をずっと見てきたんだ。
そして、そんな自分を"自力"で助けよう、"自力"できりぬけよう、と無理をする。
自分を叱咤して、不確かな世界を切り抜けようと無理する罪悪の世界を信じきっていたんだ。
もう、やめよう。
やめたい。
もう、ゆるす。
そして、このまま自我の策略に乗っかり自分責めをするのはやめよう。
人を敵とみて、加害者とみて、反応するのもやめよう。
みんな、ひとつ。
降参する。
力を抜く。
取り繕って、罪悪の世界をもう強化しない。
聖霊に差し出そう。
聖霊に訂正してもらおう。
聖霊に導いてもらおう。
jacimのQ&Aで見つけた「寝てみる夢と覚めて見ている夢について」の文
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私たちの動揺は、「自分は動揺することにする、そして、この平安の喪失を自分の外側にあるかに見える原因のせいにする」と決めた私たちの心の中の決断を反映するものであり、それ以外の何ものでもありません。
これが、私たちが目を覚ましているときの夢の中でもやっていることだという自覚が、イエスが、このコースの中で次のように私たちに提示している〈赦し〉のプロセスの土台となります。
私は自分で考えているような理由で、動揺しているのではない。・・・私が動揺しているのは、存在しない何かを見ているからである。・・・赦しは、兄弟から自分に為されたとあなたが思っていたことは、起こってはいなかったと認識する。
( W-pI.5; W-pI.6; W-pII.1.1:1)
この認識を、眠っているときに見る夢から、目を覚ましているときの夢へと普遍化させていくことができるなら、私たちは、すべての〈分離の夢〉から目覚めるための道をしっかりと進んでいくことになるでしょう。
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ワークブック
レッスン155
私は一歩退いて、神に導いてもらう。
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存在するように見えるが実は存在していないこの世界の中で生きるための、一つの生き方がある。
あなたの外見が変わることはないが、あなたはもっとたびたび微笑むようになる。
あなたの額は穏やかで、瞳は静かである。
そして、この世界であなたと同じように歩む者たちは、自分と同じ者たちを認識する。
(1:1~4)
世界は幻想である。
そこにくることを選ぶ者たちは、彼ら自身が幻想となり、自分の実相を回避できる場所を求めている。
しかし、ここにも自分の実相があると発見したときには、彼らは一歩退き、その実相に導いてもらおうとする。
実際、それ以外に、彼らにどんな選択肢があるだろう。
幻想に真理を先導させるのは狂気である。
しかし、幻想を真理の後ろに退け、あるがままの真理を前面に立たせることは、単に正気であるにすぎない。
(2:1~6)
狂った幻想はいましばらくは形跡を残すだろう。
それは、ここにくることを選択し、まだその選択の間違いに氣づいて喜ぶまでには至っていない者たちが見るためのものである。
彼らは真理から直接学ぶことはできない。
なぜなら、彼らは、真理が真理であることを否定したからである。
だから、彼らには教師が必要である。
彼らの狂気を知覚はするが、彼らの中にある幻想は見過ごして単純な真理を見ることができる教師である。
(3:2~4)
すべての道は、最後にはこの道につながる。
犠牲と窮乏はどこにも達しない道である。
敗北のための選択肢、達成不可能な目的である。
こうしたすべてのことは、あなたの中で真理が前面に現れるとともに後退する。
そして真理は兄弟たちを死の道から連れ出し、幸せへの道を歩ませる。
彼らの苦しみは幻想にすぎない。
それでも彼らは幻想を真理と誤解しているので、そこから連れ出してくれる導き手を必要としている。
(7:1~5)
これからは、この道を安全に、しかし慎重に歩きなさい。
あなたはまだこの道では初心者だからである。
(9:1)
一歩退いて、真理に先導してもらいなさい。
あなたは行き先を知らない。
けれどもそれを知っている存在があなたとともに行く。
これより先は神に導いてもらいなさい。
(10:3~6)
私たちは神に向かって歩む。
立ち止まって、これについてよく考えてみなさい。
これ以上に神聖な道があるだろうか。
あなたの努力と愛と熱意を傾けるに値するような道が、ほかにあるだろうか。
どんな道が、一切を超えるものをあなたに与えることができるだろうか。
あるいは、それ以下のものしか差し出さずに神聖な神の子を満足させられるだろうか。
(12:1~4)
今、神は、毎日少しの間、あなたが神のことを思うようにとだけ求めている。
それによって、神はあなたに語りかけ、神の愛について語り、神の信頼がどれほど大きく、神の愛がどれほど無限であるかをあなたに思い出させる。
実際はひとつのものであるあなたの名と神の名において、今日、私たちは喜んで次の概念を練習する。
私は一歩退いて、神に導いてもらう。
私は神に至る道を歩きたいのだから。
(14:1~3)