神とのひととき。
聖霊とのひととき。
イエスとのひととき。
私とのひととき。
夫とのひととき。
遠くのあの人とのひととき。
全部がひとつ。
「光」の中。
これ以上何を求める必要があるのだろう。
ひとつになるとこんなにも安らかなのに、何を怖がっていたんだろう。
浮上してくる過去や、これからも出会う動揺や反応も、身体の痛みや不調も、世界の情報も、百回でも千回でも、聖霊に差し出し訂正しよう。
「光」でひとつになって休らおう。
心を光に浸そう。
・・・
これまで、長い間携わってきた「セラピー」は、自我の処理でしかなかった。
自我は手柄が欲しかった。
そうして自我は自我でいたかった。
処理したつもりで横にどかしただけだった。
それでも、闇を見るところまではやってきたのだから、あとは、全部、聖霊に差し出すためにただ静かに感じ尽そう。
そうして、聖霊、キリスト、神に抱かれ、ほかほかぬくぬく甘えて、休らおう。
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ワークブック
レッスン156
私は完璧な聖性の中を神とともに歩む。
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今日の主題概念は、罪という考えを不可能にする単純な真理を述べているにすぎない。
(1:1)
真理が真理に矛盾することはなく、その一部は不確かでほかの部分は確かであるということもありえない。
あなたは神なしでは存在しえないので、神から離れて世界を歩くことはできない。
神は、あなたの生命そのものである。
あなたがいるところには、神もいる。
ひとつの生命だけがある。
(2:3~7)
生けるものは、神と同じく神聖である。
なぜなら、神の生命を共有するものは聖性の一部であり、罪深いものではありえないからである。
(3:3)
あなたの中には、消えることなき光がある。
その存在はあまりにも神聖なので、あなたのおかげで、世界が聖別されるほどである。
生きとし生けるもの一切が、感謝と喜びのうちに贈り物を運んできては、あなたの足元に供える。
花束から漂う香りが、彼らからあなたへの贈り物である。
寄せてくる波はあなたの前で頭を垂れる。
木々はその枝を広げて暑さからあなたを守り、地面に落ち葉を敷き詰めて、あなたが歩く柔らかな道を用意する。
そして吹き降りてくる風はあなたの神聖な頭の周りで静かなささやきとなる。
(4:1~4)
あなたが運ぶ光は彼ら自身の光である。
そのようにして、彼らはあなたの中に彼らの聖性を見て、救済さうであり神であるあなたに挨拶する。
(5:3.4)
あなたが一歩退くとき、あなたの内なる光が前に進み出て、世界を包み込む。
それは処罰と死による罪の終わりを予告するのではない。
そうした罪の概念の古びた愚かしさが見えてくるので、軽やかな笑い声の中で、罪が消え去るのである。
(6:2~4)
それでも、あなたはこの愚かな考えに、あまりに多くの年月を浪費してきた。
過去は、そのすべての空想とともに、過ぎ去っている。
もはやそれはあなたを縛りつけてはいない。
神に近づくときが間近に迫っている。
(7:1~4)
「誰とともに歩むのか?」この問いが、問われなければならない。
確信が疑いを消し去り、平安を確かなものとするまで、一日に千回でも、これを問う必要がある。
今日は、疑いを終わらせなさい。
(8:1~3)
私は完璧な聖性の中で、神とともに歩む。
私は世界を照らし、私の心を照らし、私とひとつものもとして神が創造した心のすべてを照らす。
(8:5.6)