【奇跡講座】 気づきの記録 ~Humming~

「欠乏」の幻想から目覚めると、「愛」そのものだったと氣づきます。

すでに癒されているという前提(W レッスン159)

キリストの心眼にゆだねれば、この世界はすでに癒されている。

 

この心眼を取り戻したいです。

 

私は退きます。

 

退くこと、訂正すること、静かにしていること。

 

そうして、真の心眼を迎えることができますように。

 

正気の心を取り戻せますように。

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ワークブック

レッスン159

 

私は自分が受け取った奇跡を与える。

 

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誰も自分が受け取っていないものを与えることはできない。

何かを与えるためには、まずそれを自分のものをして所有していなければならない。

この点では、天国の法則と世界の法則は一致している。

しかし、両者が分岐するのもここである。

この世界では、何かを所有するにはそれを持ち続けなければならないと信じられている。

救済はそれとは違ったことを教える。

与えることは、自分がすでに受け取っていることを認識する方法である。

それは、自分がもっているものが確かに自分のものだと示す証拠である。

(1:1~8)

 

あなたは癒しを与えるとき、自分が癒されていることを理解する。

赦すとき、自分自身の中で成就したものとして赦しを受け入れる。

自分の兄弟を自分自身として認識するとき、自分が全一であることを知覚する。

あなたが与えることのできない奇跡は一つもない。

あなたにはすべての奇跡が与えられているからである。

今、奇跡が置かれているあなたの心の倉庫を開き、それらを与え放つことにより、今、それを受け取りなさい。

(2:1~5)

 

キリストの心眼そのものが一つの奇跡である。

それは、それ自体をはるかに超えたものからやってくる。

それは永遠の愛を反映し、覆い隠されてはきたが決して滅びぬ愛の再生を、反映している。

(3:1~2)

 

それは与える者と受け取る者をひとつに結びつけている絆であり、彼らは天においてひとつであるのと同じように、地においても延長の中でひとつである。

キリストは誰の中にもいかなる罪も見ない。

そしてキリストの視覚には、罪なき者たちはひとつのものと映る。

彼らの聖性は、キリストの父とキリスト自身から与えられたものである。

(4:3~6)

 

キリストの心眼は二つの世界の間の架け橋である。

そしてあなたは、この世界から、赦しによって神聖になった世界へと自分を運んでくれるものとして、安心してその力を頼みとすることができる。

ここでは非常に堅固に見えるものが、向こうの世界では単なる影にすぎない。

それらはときには忘れられてしまうほどに透けていて、かすかにしか見えない影であり、その向こうで輝いている光を決して覆い隠すことはできない。

心眼には聖性が回復されており、盲いた者も見えるようになる。

(5:1~4)

 

これが聖霊の単一の贈り物である。

あなたの幸福に役立つあらゆるものを、完璧な確信を抱いてこの宝庫に求めることができる。

すべてのものはすでにここに納められている。

求めさえすれば、すべてを受け取ることができる。

ここでは、扉に鍵がかけられるようなことはなく、誰ひとりとして、どんな些細な願い事についても、どんな緊急な必要についても拒まれることはない。

キリストのこの黄金の宝庫の中ですでに癒されていない病気はなく、満たされていない欠乏や必要もない。

(6:1~6)

 

ここで、この世界が作り出されたときに失われたものを思い出す。

ここでそれが修復され、これまでとは異なる光の中で新しく作り変えられるからである。

罪の住処となるところだったものが、贖いの中心となり、慈悲の場となり、苦しんでいた者たちがそこで歓迎され癒される。

(7:1~3)

 

あなたが与えることができるように蓄えられている奇跡を見なさい。

それは神があなたに与えると約束した贈り物である。

その贈り物に、あなたはふさわしくないだろうか。

神の子を裁いてはならない。

それよりも、神が定めた道を進みなさい。

キリストは赦された世界の夢を夢見た。

それがキリストの贈り物であり、それにより死が生へ、絶望が希望へと快く推移していく。

一瞬の間、キリストと一緒に夢を見よう。

キリストの夢は私たちを真理に目覚めさせてくれる。

キリストの心眼が、神の中で今も失われてない永遠の聖域へと戻っていく手段を、私たちに与えてくれる。

(10:1~8)