【奇跡講座】 気づきの記録 ~Humming~

「欠乏」の幻想から目覚めると、「愛」そのものだったと氣づきます。

何ものであるかの自覚(W レッスン160)

「恐怖」で動く。

例えば、

「死なないように」

「食べていかないといけないから」

「何もしないって無価値だと思うから」

「認められないと存在してはいけない」

「〇〇がないと、無能だから」

無数にある「恐怖」から波及した信念。

 

この「恐怖」で動いている間は、私は私を生きていない。

私ではない「異邦人」、あるいは「亡霊」だ。

 

「恐怖」の支配下のもと、亡霊となっていた。

 

「恐怖」は幻ゆえに、「恐怖」の支配下の間は私たちも幻。

 

真に生きるとは、「神の子」「実相」を生きること。

 

それは高尚なことでも、難解なことでも、敷居の高いことでもなんでもない。

 

「恐怖」を見抜くだけだ。

「恐怖」の見抜き方は、「恐怖」を思った時の身体感覚を全部感じ切ることだ。

そして聖霊に渡してしまうことだ。

 

それこそ、長年、「恐怖」をもとに生きてきたので、この感情感覚を感じ切っていく状態はしばらくは続く。

そう簡単に消えない。

 

だけど、感じ切った分だけ、「恐怖」は過ぎ去っていく。

どんどん「恐怖」の正体が暴かれていく。

そして「恐怖」の力はなくなり、透明になっていく。

 

その透明な先に、「神の子」「実相」が笑って待っていてくれている。

・・・・・

ワークブック

レッスン160

 

私は自分の家にいる。ここでは恐れは異邦人である。

 

もしあなたが実在するなら、恐れは幻想に違いない。

そしてもし恐れが実在するなら、あなたはまったく存在しないということになる。

(4:7.8)

 

彼は道に迷っている。

しかし今、奇跡が彼を探し出して、彼は異邦人などではないと教えるだろう。

その奇跡は訪れる。

彼の家には、彼の真の自己が今もとどまっているからである。

自己は異邦人を家の中に招き入れたことはなく、異質な想念を自分自身と取り違えることもしなかった。

そして自己は自分に属するものを認識して、それを自分自身へと呼び戻すだろう。

(6:4~8)

 

神が合一させたものは永遠にひとつであり続け、神の家でくつろいでおり、神ご自身にとって異邦人ではない。

(8:5)

 

彼らはキリストを異邦人と見なしているが、それは彼らが自分自身を認識していないからである。

しかしキリストを歓迎するとき、彼らは思い出す。

そしてキリストは彼らを再び、彼らの家へと優しく連れ帰る。

(9:3~5)

 

キリストは誰も忘れてはいない。

あなたが思い出すべき相手をひとり残らず、キリストがあなたに与えてくれる。

それによって、あなたの家はそれが建てられたときと同じように、完全で完璧なものとなるだろう。

キリストはあなたを忘れてはいない。

しかしあなたは、キリストが見ている通りにすべての者と見るようになるまでは、キリストを思い出すことはないだろう。

自分の兄弟を拒む者は、キリストを拒んでいる。

そうすることで、視覚の贈り物を受け入れるのを拒否している。

だがその視覚こそが、自分の真の自己をはっきりと認識し、わが家を思い出し、救済が訪れるための手段である。

(10:1~5)