いつまでも「罪悪」「恐怖」「孤独」「生死」の夢を握りしめておくのをやめないでいるのは、この夢(幻想)が往古から続き、あまりにも馴染み深く、疑うことも忘れてしまっているから。
時間と空間を捏造し、その中で「罪悪」「恐怖」「孤独」、そして「生死」というゲームの夢(幻想)に愛着、執着している。
見渡せば、この世界のニュースもエンターテインメントも、「罪悪」「恐怖」「孤独」「生死」のゲームで埋め尽くされている。
そこから抜け出し勝利する人は、「特別」な条件付きで、ほんの一握り。
だからこそ、我こそは!と獲得するために戦わないといけないようになっている。
誰かをゲット。
お金をゲット。
物をゲット。
健康をゲット。
そしたら、「罪悪」「恐怖」「孤独」、「生死」からも逃れられるはず・・・!
だけど、これらすべてが”不確か”なもの。
だからこそ、油断できない。
いつも緊張を張り巡らせて、キープし続けるために奔走しなければならない。
この夢(幻想)を可能にしているのが「肉体」とそれを信じる「思考」。
「夢(幻想)」と「肉体」は相反するように見えているけど、この2つで1セットになっていて、「肉体」を”自分”だと思い込んでいる限りは「罪悪」「恐怖」「孤独」「生死」は無くならない。
・・・
そんな狂気のループに氣がつき、
今度は、その狂気のループを恨めしく思っていた。
この「狂気のループ」をやっつけなきゃ、終わらせなきゃと思ってたし、自分が肉体という分離を選択し、夢見の世界にいることを悔やみ、憎んだ。
そして、これこそが、「狂気のループ」、「罪悪」「恐怖」「孤独」「生死」をリアルにしていたい!という二重のトラップだったのだ。
「コース」による「正気」、「正見」の導きがなけでば、この無限ループの構造を見抜くことはできなかった。
・・・
「狂気のループ」の丸ごとを、ただ優しく看過する。
モナリザの微笑のごとく、ふんわりと包んで手を離す・・・。
それだけなのだ。
そしてそのためにできる唯一のことは、「狂気のループ」で動揺し、反応して、感じている身体感覚を、抵抗せずにつぶさに感じきることだけなのだ。
そうすれば、焦げ付くように愛着、執着していた「罪悪」の夢は、ふわりと空へ溶けて消えていくのだ。
・・・・・
ワークブック
レッスン165
私の心が、神の想念を拒否しませんように。
この世界が実在するように見えているとすれば、それには、あなた自身が世界を越えたところにある真理を否定しているということ以外にどんな理由があるだろうか。
不幸や死についてのあなた自身の考え以外に、何があなたのために父が意志している完璧な幸福と永遠の生命を覆い隠すだろう。
そして、幻想以外の何が、隠蔽不可能なものを隠せるだろう。
あなたがすでにもっているものをあなたから離しておけるものとは、その存在を否定し、それを見ないというあなた自身の選択以外に何がありえるだろうか。
(1:1~4)
神の想念があなたを創造した。
それはあなたから去ったことはなく、あなたも一瞬たりともその想念を離れたことはない。
それはあなたそのものである。
(2:1~3)
天国を拒否してはならない。
求めさえすれば、それは今日あなたのものになる。
また、あなたがその贈り物の偉大さや、自分の心がそれによってどれほど変わることになるかを、前もって知覚していなければならないというわけでもない。
受け取りたいと求めなさい。
そうすれば、それはあなたに与えられる。
そうすることで、確信がもてる。
あなたがそれを自分のものとして歓迎するまでは、不確かさが残る。
しかし神は公平である。
あなたが受け入れることによってのみ、授けられるものであるとき、それを受け取るためにあなたに確かさが要求されることはない。
(4:1~8)
真に欲しながら求めなさい。
(5:1)
今やすべての疑いは過ぎ去り、旅の終わりは確かなものとなり、救済があなたに与えられた。
今や、あなたの心の中にはキリストの力があり、あなたは自ら癒された通りに癒すことができる。
(6:1.2)
今日は希望を抱いて練習しよう。
希望こそがふさわしいからである。
神は確実なので、あなたの疑いは無意味である。
そして神の想念が不在となることはない。
神を迎える接待主であるあなたの中には、必ず確かさが宿っている。
このコースは、神についてのあなたの確信と神の間に、あなたが挿入してきたすべての疑いを取り除く。
(7:1~6)
確信を得るためには、私たちは自分に頼らず、神を頼りにする。
そして神の名において、私たちは神の言葉が指示する通りに練習する。
神の確かさは、私たちのあらゆる疑いを越えている。
神の愛は、私たちのあらゆる恐れを越えたところにあり続ける。
神の想念は、今もすべての夢を越えて、神の意志の通りに私たちの心の中にある。
(8:1~5)