「どうせ私は愛される資格はない。だから、私も誰も愛さない」
こんな信念を胸に秘めてきた。
今考えると、crazyだなぁ。
ほんとにつくづく。
この信念を隠し持っていたことをはっきりと意識に上げることをしてこなかった。
どこかで、この信念がひっくり返るなんて不可能だと思っていた。
この信念にふさわしい怒り、悲しみ、恐れが、癒えて、消えることはないと思っていた。
コース実践を何巡か繰り返し、ようやく、コースの述べることに本気で心を開けるようになった。
コースに述べられていることは、物質上の私の頭を遥かに凌駕した叡智への誘導だったことが明らかになって、人知という幻が一掃されていく。
神は愛で、だから私たちも愛。
これは人為的な理解は不可能で、この様な思考に引っくり返らない。
ただ素直に「イエス」と従うという一択。
緩んだ心は愛。
最も当たり前でシンプルで自然な状態であり、最も幸せな選択。
これ以上、望むものは私の心の中にはなかった。
自我を超えると自由がおとずれる。
愛の只中にいることが思い出される。
・・・・・
ワークブック
復習Ⅴ
父よ、私たちの足取りを確かなものにしてください。
疑いが鎮まり、私たちの神聖な心が、静かになって、私たちに語りかけてくれますように。
私たちにはあなたに差し出す言葉はありません。
私たちはただあなたの言葉に耳を傾け、それを自分のものにしたいと願うだけです。
幼子には理解できない道を、その子の手を引いて進む父親のごとく、私たちの練習を導いてください。
子どもは父親が手を引いてくれるので、安全を信じてついて行きます。
私たちもそのようにあなたのもとで練習します。
もし私たちがつまづいたら、あなたが抱き起してくださいます。
道を忘れたときには、あなたの確実な記憶を頼みとします。
私たちがわき道に逸れても、あなたが忘れずに呼び戻してくださいます。
さらなる確信を抱き、より迅速にあなたのもとへ歩いていけるように、今、私たちの足取りを速めてください。
ですから、あなたから与えられた想念を復習するとき、私たちの練習を統一するためにあなたが与えてくださる言葉を受け入れます。
(2:1~6・3:1~6)
神は愛であり、だから私も愛である。
(10:8)
レッスン171
すべてのものごとは神を代弁する声のこだまである。(151)
決断の力は私にある。(152)
神は愛であり、だから私も愛である。