怖くて後回しにしてきた「家族」への訂正。
思いがけず、自分の家族への愛着、執着に関して真剣に取り組むことになり、
「家族」という特別性から出てくる所有の愛着、執着を聖霊に差し出し続けた。
「家族」という「形」への愛着、執着も、ほかの幻想の世界の出来事のすべてと同じで、分離の夢だということが、ようやくちゃんと自覚できた。
それは残念なことではなかったし、恐れていた喪失感のようなものも起こらなかった。
それとは真逆で、「家族」という「形」をそっと手離したことで、「ダイレクトな愛だけ」が残った。
「形」を越えた親密さを知った。
特別性を手放すと、自由が思い出され、内側の聖霊をたっぷり感じ、真の「家族」である神の国とつながった。
神の国は、この世界のすべての人のものだから、神の国ですべてに出会い続けることができる。
今こそ、すべての生命と出会えている。
今こそ、生命そのものと出会えている。
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ワークブック
復習
レッスン178
(165) 私の心が、神の想念を拒否しませんように。
(166) 私には、神の贈り物がゆだねられている。
神は愛であり、だから私も愛である。
この世界が実在するように見えているとすれば、それには、あなた自身が世界を越えたところにある真理を否定しているということ以外にどんな理由があるだろうか。
(pl 165 1)
確信を得るためには、私たちは自分を頼らず、神を頼りにする。
そして神の名において、私たちは神の言葉が指示する通りに練習する。
神の確かさは、私たちのあらゆる疑いを越えている。
神の愛は、私たちのあらゆる怖れを越えたところにあり続ける。
神の想念は、今もすべての夢を越えて、神の意志の通りに私たちの心の中にある。
(pl165 8)