【奇跡講座】 気づきメモ ~Humming~

「欠乏」の夢から目覚めると、「愛」そのものがわたしたちでした。

これまで間違っていた、それを認められて良かった(W レッスン184)

聖霊目線側への自覚だけが求められていました。

 

聖霊目線が自分たちだという真実に対して、恐れ多い感覚こそが、一体感を否定していた自我でした。

 

個別の存在であることをやめてよくて、

 

すべての人がひとつであることの中に寛ぐだけでよいのです。

 

これからも、差異への反応をつぶさに出し切ります。


それを光で優しくなぞり、それが消えていく様を見守りながら、聖霊の祝福の中にいることだけに、この時空を捧げます。


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ワークブック

レッスン184

 

神の名は、私が受け継いだ賜物である。

 

あなたは象徴によって生きている。

あなたは自分が見ているすべてのものに名前を作り出した。

その一つひとつがそれ自体の名前により識別される分離した存在となる。

そうすることで、あなたは一体であるものからそれを切り取る。

そうして、それに特別の属性を定め、それをとりまく空間を強調することで、それをほかのものから区別する。

あなたはこの空間を、自分が異なった名前を与えるあらゆるものの周囲に挿入している。

場所や時間で隔てられるあらゆる出来事の間や、名前を呼んで挨拶を交わし合う肉体をもつ者たちの間に、それが挿入されている。

(1:1~6)

 

すべてのものを区別するものとしてあなたが見ているこの空間が、この世界の知覚を成立させる手段である。

そして、一体性のあるところには無を見ている。

すなわち、あらゆるものの間や、あらゆるものとあなたの間に、空白を見ている。

そのようにして、あなたは分離の中で生命をもたらしたと考える。

こうした分割により、あなたは自分が、独立の意志をもって機能する一個の統一体として確立されていると考える。

(2:1~4)

 

これがこの世界が教えることである。

それはここにくる者たち皆が通り抜けなければならない学びの一局面である。

しかし、それが何に基づいているのか、その前提がいかに疑わしく、その成果がいかに怪しいものであるかを早く知覚すればするほど、その結果に疑問を抱くときも早まる。

この世界が教えようとするものだけにとどまる学びは、意味にまで到達することはない。

この世界の学びは、正しく配置されるなら、もう一つの学びが始まる出発点となる。

そこを起点として新しい知覚が得られるようになり、この世界が与えるでたらめな名前が疑問に付されて撤回されるようになる。

(7:1~5)

 

自分が世界を作ったと考えてはならない。

幻想ならば確かに作り出した!

(8:1・2)

 

あなたがひとりの兄弟に呼びかけるとき、あなたは彼の肉体に訴えている。

彼の真のアイデンティティーは、あなたが彼の真の本性だと信じているものにより隠されている。

彼の心が、あなたが彼に与える名前を自分のものとすることに同意するので、彼の肉体はあなたが彼と呼ぶものに対し応答する。

こうして、彼の一体性は二重に否定される。

あなたは彼を自分とは分離した者として知覚し、

彼はこの分離した名前を自分のものとして受け入れるからである。

(8:4-7)

 

だからあなたに必要なのは、毎日、この世界の学びがつかの間の一つの段階となる休憩時間をもつことである。

それは、あなたが牢獄から陽の光の中へと出ていき、闇を忘れる時間である。

その中であなたは、真の言葉、神があなたに与えた名、すべてのものが共有する一なるアイデンティティー、そして真実なるものについての一なる認識を理解する。

それからあなたはまた闇の中へと戻るが、それが実在すると思うからではなく、闇が支配する世界の中で依然として意味をもつ言葉によって、その非実在性を宣言するために戻るのである。

(10:1-3)

 

神に名はない。

しかし、神の名はあらゆるものが一つであるという最後のレッスンとなり、このレッスンですべての学びが終わる。

すべての名前が一体化され、すべての空間が真理の反映で満たされる。

(12:1~3)

 

神の名の意味を求める者に、失敗はありえない。

神の言葉を補足する体験が必ず訪れる。

しかしまずはじめにすべての実相を表す一なる名を受け入れ、実相の数々の側面に自分が与えた多くの名前は、自分が見るものを歪曲してきたが真理の邪魔をすることはまったくなかった、ということを悟らなければならない。

私たちは一なる名だけをもって練習を行う。

私たちの視覚を統一するために一なる名だけを用いる。

(13:1~4)

 

父よ、私たちの名はあなたの名です。

その中で、私たちは、生きとし生けるものと、それらすべての一なる創造主であるあなたと一体です。

私たちが作り出し、多くの異なる名前で呼んでいるものは、あなたご自身の実相を遮ろうとして私たちが投げかけた影にすぎません。

そして私たちは、自分たちが間違っていたことを喜び感謝します。

間違いがもたらすかに見えたあらゆる結果から解放されるように、私たちのすべての誤りをあなたに差し出します。

そしてあなたから与えられる真理を、そうした一切にかわって受け入れます。

あなたの名は私たちが作り出したものから私たちを救い、自由にします。

あなたの名は、私たちが受け継いだ賜物であり平安である一体性の内に、私たちをひとつに結びます。

アーメン。

(15:1~9)